ステマは江戸時代にもあった 罰当たり「犬にされた男」のかわら版
人間が動物やバケモノに変わってしまう事件は、江戸時代の庶民の情報源、かわら版にたびたび登場してきました。一見、バカバカしい内容ですが、そのかわら版の発行された背景をたどると、江戸時代の風俗と誤解や差別の記録が見えてきます。「犬を殺して犬になった男」と「竜と人間の間に生まれた子供」のかわら版について、大阪学院大学、准教授の森田健司さんが解説します。
犬を殺して犬にされた男
悪いことをすると罰が当たる。今の日本でもよく聞かれる言葉だが、江戸時代においては、罪を犯した者に天や神仏などの罰が下ることは、疑いを入れられない常識だった。 かわら版「犬之霊ふしぎの次第」には、悪行を犯した人間が酷い目にあったことが記録されている。それは、次のような話である。 出羽国置賜郡(現在の山形県にあった郡)に住んでいた木村巳之吉は、当年とって19歳。父の日向は、米沢八幡宮の神職で、彼にとって巳之吉は末の子だった。この巳之吉、昨年の4月に一匹の犬を殺したのだという。 殺された犬は雌で、当時妊娠していた。だから、いつも空腹だったのだろう。ある日、巳之吉の元から何か食べ物を盗んだらしい。巳之吉はこれに激怒し、その犬を追い回した上、叩きのめしたという。犬は苦しみ、詫びるような声を出しながら逃げたが、情け容赦のない巳之吉は、遂に竹槍でその犬を刺し殺してしまった。 その日の夜のことである。巳之吉は、高熱を出して床に伏せてしまった。悶え苦しんだ彼が病から解放されたのは、なんと17日も後のことだった。しかし、健康を取り戻したとはいえ、巳之吉は以前とは全く違っていた。なんと、顔が犬のようになってしまっていたのである。 変化したのは、外面だけではなかった。犬面となった巳之吉は、言葉を解することも、言葉を発することもできず、ただ「わんわん」と吠えるだけとなってしまったのである。 父親の日向は、これを見て理解した。巳之吉は、あの犬に祟られたのだ。この祟りを解くには、神の力を借りるしかない。そこで日向は、巳之吉を伊勢神宮と、四国の霊場に向かわせることにした。 問題は、巳之吉の頭脳が完全に犬のそれになってしまっていることである。駕籠(かご)に乗せて、無理やり旅に出したものの、道中トラブル続きだった。7月5日には大坂に到着したが、駕籠に乗っている巳之吉は、魚の頭をかじって周りを窺い、犬が近くにやってこようものなら、すぐに噛み付く有様だった。付き人にも威嚇し、巳之吉は猛犬そのものとなっていた。 かわいそうな犬を虐殺した巳之吉に下った罰、それは極めて重いものだった。これを読んだ当時の人々も、そう思ったことだろう。しかし、「犬を殺して犬にされる」というのは、なんとなく腑に落ちないところがある気もする。