ステマは江戸時代にもあった 罰当たり「犬にされた男」のかわら版
かわら版と見世物の連携
かわら版「犬之霊ふしぎの次第」には、でっぷり太った巳之吉のイラストも添えられている。それを見ると、巳之吉の頭部は、犬に似ているというより完全に犬で、身体の方は人間のままのようだ。 それにしても、この刷り物はどういう目的で販売されたのだろうか。あるいは、なぜかわら版屋は、この情報が「売れる」と思ったのだろうか。 巳之吉に関する話を語った後、記事はこう締められている。 あまりめづらしきゆへ かく四方にしらしむなり つまり、「大変な珍事なので報道した」ということである。確かに、こんな出来事は滅多にないだろう。と言うより、これは明らかにフィクションである。それでは、なぜこのような刷り物を作ったのだろうか。 このかわら版は、事実の報道という体裁を取っているが、書かれた情報の性質からして「見世物の宣伝」と考えるのが適切だ。タイトルの横に「当七月五日 上方来ル」と、具体的な日付が書かれているのも、実に「見世物の宣伝」っぽい。この刷り物自体は、有料のかわら版だった可能性が高いが、同時期に無料のチラシ、つまり引札(ひきふだ)が配布されたことも推察できる。 頭部が完全に犬であるということは、犬の身体を何かで隠してしまえば、それを巳之吉と言い張ることは可能である。だから、見世物小屋を訪問した人々は、そこで顔だけ箱か何かから出した「ただの猛犬」を目にしたことだろう。 かわら版屋は、同じように怪しげな香具師と手を組んで、このような見世物の宣伝も行っていた。まさに、江戸時代のアンダーグラウンドなネットワークである。
かわら版に記録された偏見
事実、「犬之霊ふしぎの次第」以外にも、こういった見世物に直結する奇談が記されたかわら版は、数多く存在する。それは例えば、次の「農婦龍交竜子産」のようなものである。
一般的なかわら版と違って流麗な多色刷りで作られており、錦絵と分類した方が良さそうな質だが、改印もない非合法出版物であるため、ここではかわら版と分類しておきたい。なお、この「農婦龍交竜子産」に記された話は、次のようなものである。 越後国(現在の新潟県)に、三助という名の農夫が住んでいた。あるとき、彼は娘を伴って、奥州二本松(現在の福島県二本松市)にある縁者の家に引っ越してくる。そこに落ち着いた三助は、娘を造り酒屋を営む兼三郎の家に奉公に出した。 娘は間もなく、弥五平という村の男と深い仲になる。そして、二人の間には男の子が生まれるが、この子がどうにも変わっていた。皮膚に、蛇のような鱗(うろこ)があったのである。7歳になる頃には、全身が鱗に覆われるまでになっていた。 これを見て村の人々は、この子の父親は弥五平ではなく、龍ではないかと噂した。「農婦龍交竜子産」というタイトルは、そこからきている。かわら版には、男の子が水面に目をやると、そこには龍の姿が映っているという、衝撃的な様が描かれている。 言うまでもなく、このかわら版も「見世物の宣伝」として機能する内容を持っている。全身が鱗に包まれた「龍の子」は、見世物として多くの客を呼べたことだろう。この一枚刷りは、その見世物を補完するストーリーを記したものとも考えられる。 ただし、「農婦龍交竜子産」が「見世物の宣伝」であったとすれば、こうも言えるだろう。それはすなわち、この一枚刷りは、かわら版と見世物との関係を教えてくれると同時に、江戸時代の人々の「偏見」を記録したものでもある、ということである。 もし、皮膚が鱗のようになっている人がいたのであれば、それは「魚鱗癬(ぎょりんせん)」と呼ばれる「病気を患っているから」である。当然の話だが、「龍の血が入っているから」などではない。しかしながら、頑迷な俗信にとらわれていた当時の庶民は、人間の皮膚が鱗のようになっていれば、それは「龍の血が入っているから」である、という説明を受け入れてしまったのだろう。そして、このような誤解に基づいた差別もあったに違いない。 江戸時代の実相、特に負の側面を伝えてくれる意味でも、「農婦龍交竜子産」は極めて重要な一枚である。 ちなみに、先の「犬之霊ふしぎの次第」の方にも、何らかの誤解や偏見が記録されているのだろうか。いや、それはさすがにないと思われる。人間の頭部を犬のそれに変えてしまうような病は、今も知られていないからだ。 (大阪学院大学 経済学部 准教授 森田健司)