東京都庁、代々木競技場、フジテレビも!死ぬまでに見たい丹下健三の名作建築4選
日本には国際的に活躍する優れた建築家が多くいて、世界からもリスペクトされています。そんな“建築家大国”日本のなかで先駆け的存在として君臨するのは、“世界のタンゲ”とも呼ばれた丹下健三ではないでしょうか。たとえ建築に興味がなかったとしても、広島平和記念公園や東京都庁などは、知らず知らずのうちにテレビなどで目にしているかと思います。 【写真集】死ぬまでに見たい丹下健三の名作建築 ここでは、日本のモダニズム建築の礎を築いた建築界の巨匠、丹下健三にスポットを当て、その代表作をピックアップ。彼の作品を辿ることで、戦後日本の建築の歩みも振り返ることができます。早速、見ていきましょう。
丹下健三とは一体どんな人物?
丹下健三(1913-2005)は大阪に生まれ、幼少期を中国で過ごしました。1938年に当時の東京帝国大学工学部建築科を卒業後、ル・コルビュジェに影響を受け、彼の弟子である前川國男の建築事務所に入所します。 1941年に東京大学大学院に入学し、卒業後は1946年から1974年まで丹下研究室を主宰。槇 文彦や磯崎 新、黒川紀章、谷口吉生ら日本の名だたる建築家を輩出しました。 ミラノ工科大学やハーバード大学など海外でも教鞭を取り、1987年に日本人初となるプリツカー賞を受賞。文化勲章やフランスのレジオンドヌール勲章なども受章しました。 日本の伝統的な建築様式とモダニズムを融合させた数多くの公共建築が評価される一方、日本各地の都市計画を通して、戦後の復興にも貢献した建築家です。 それでは、彼の建築の歩みを知ることができる代表作を見ていきましょう。
広島平和記念資料館(1955年)/広島県広島市
丹下健三は、被爆後の広島を調査して復興都市計画を提案。1949年に広島市主催の平和記念公園および記念館のコンペで1等に入選しました。 ル・コルビュジェの影響を受け、機能性を重視したモダニズム様式で設計された広島平和記念資料館は1階に大きなピロティが。このピロティを通して原爆ドームを見せるという、丹下健三の平和への強い思いが込められた意図的なデザインになっています。