<私の恩人>野々村真、僕のすべては「いいとも」タモリさんから始まった!
31日で、32年の歴史に幕を下ろすフジテレビ系「笑っていいとも!」。同番組で、タレントとしての第一歩を踏み出したのが野々村真さん(49)です。今の自分を作ってくれたのは、言わずもがな、タモリさんだと言葉に力を込めました。 僕の第一歩、いや、出してもらってるのに何もできなかったことを考えると、第0歩とも言えるのが「笑っていいとも!」です。何と言っても、素人とタレントの境界線となったのがこの番組ですからね。 1982年に「いいとも青年隊」(久保田篤、羽賀研二、野々村)のオーディションに合格して、いざ番組がスタートする10月4日の月曜日。僕らは本番3時間前の午前9時ごろには、番組が行われる新宿のアルタに入っていました。ただ、イスに座っていた記憶はないんです。その当時、アルタにいらっしゃる全ての人の中で一番年下なのが18歳の僕。ADさんも年上。初めてのテレビということも加わり、アルタに入った時点で緊張がピークに達していました。 緊張させないように、楽屋でタモリさんが何かを言ってくれたんですけど、それもほとんど記憶がない。おぼろげながら覚えているのは「大丈夫だよ、1時間経てば終わってるんだから。ま『放送禁止用語』だけ言わないようにな、ハハハ」みたいなことをおっしゃっていたということだけ。 …なのに、言っちゃったんですよね。それを。 ありがたいことに、タモリさんのゼスチャークイズに僕らが答えるという「いいとも青年隊」コーナーを作っていただいてたんですけど、それでなくても舞い上がってるのに、自分たちのコーナーとなると、なおさら頑張ろうとするじゃないですか。 どれくらい舞い上がっていたかというと「の、の、の、のの、ののむらです!!」と自分の名前も言えないくらい。今でも噛みまくりですけど(笑)、その原点みたいなもんです。 そんな中、ゼスチャーの答えが“お祭り”みたいなワードで、タモリさんがどこかの部族の踊りみたいな動きをされているのを見て、ついつい、放送にはそぐわない言葉を言っちゃったんですよね…。今ここで言ったら、また問題になるから言えませんけど(苦笑)。