<私の恩人>野々村真、僕のすべては「いいとも」タモリさんから始まった!
タモリさん、新番組一発目でいきなり謝罪です。 当然ですけど、終わってから番組のスタッフさんにはムチャクチャ怒られました。ただ、タモリさんは 「…言っちゃったな」とニコッとしただけでした。 よくよく考えると、そもそも、僕が合格したのも、タモリさんのお考えのおかげなんです。というのは、オーディションから、僕は何もできてないわけですよ。歌も、ダンスも、演技もできない。それでも、受かった。ということは、そんなヤツを求めてくださったようなんです。 何もできない、何も知らない、何をしでかすか分からない。そんな僕を入れることで、予定調和ではない展開を作っていく。そんなお考えがタモリさん、そして、プロデューサーの横澤彪さんにはおありだったようなんです。 実際、当初の「いいとも」にはバラエティー番組を専門にやっているタレントさんではなく、歌手の山本コウタローさんや作家の田中康夫さんらが出られてました。それは、「バラエティーにこなれたタレントさんが作る安定感の中、しっかり番組を進めていく…ということではない楽しさ、おもしろさ」を追求するためだったんです。 今でこそ、そんな雰囲気の番組もありますけど、生放送でそれをやり始めたのが「いいとも」だったんですよね。その流れがあったからこそ、僕を選んでもらったんでしょうしね。僕としたら、感謝するしかないです。 あと「いいとも」が始まって最初のお正月のこと。タモリさんが「いいとも青年隊」の3人をお宅に招待してくださったんです。普段でも緊張するのに、おうちにいるのは僕ら3人と、タモリさんと奥さまだけ。そのうえ、こたつ布団、一つ取っても、見たこともないような豪華さで、より一層、緊張が増すんです。 いただいたお食事は、すき焼きでした。見たこともないような肉が山のように出てくる。「遠慮するなよ」とタモリさんが肉を鍋に入れて、僕らの皿に肉を運んでくれるんです。もちろん恐縮しますし、最初はおとなしく食べてましたけど、そりゃもうね、とんでもなくおいしい。そんな肉、食ったことないんで、そのうち、まだ肉が真っ赤っかのうちから、がっついていくわけです。 高級なこたつ布団がドロドロになるくらい、何時間も食べ散らかしました。さすがに満腹になった頃、ふとタモリさんの器を見たら、卵を割ったままの状態なんです。つまり、一切れの肉も食べてないんです。 何かを直接おっしゃるわけではないんですけど、こういう家に住んで、こうやっていい肉を出して、若いヤツに腹いっぱい食わせてやる。そういうことを通じて、“番組でメインを張る”ことの意味みたいなものを見せてくださったのかなと思います。