「小川、全然使えない」「あいつの何がいいの?」小川航基が苦しかったと語る“ジュビロ9番”時代…痛烈な批判を浴びてもブレなかった恩師との約束
周囲の目を気にせず、監督と大ゲンカ
長らく高校サッカーの現場にいるが、ここまであからさまに選手が監督に噛みつくことは珍しい。しかし、よく口論に耳を傾けてみると、勝利に対する互いの強い想いがぶつかり合ったものだった。 ――高校3年の時、鈴木監督と口論になったシーンは覚えてますか? 「あの時は、心の底から勝ちたくて、インターハイに懸けていました。ここで結果を出して名前が売れなきゃプロになれない、呼ばれない。本気で優勝と得点王を目指して、信じて挑んだので、追いつかれての初戦敗退という結果はどうしても受け入れられませんでした。監督は叱咤激励をしてくれたのだと思うのですが、どうしても感情を抑えきれなくて……。でも、感情的になってしまったのは反省しています」 ――インターハイ後も、仲間たちに厳しい言葉をかけていました。練習でも「こんなんでいいのか?」「日本一を取る気は無いのか?」と。 「懐かしいですね。本当に若さゆえの行動でしたね(笑)。でも、そういう感情を内に秘めずに表現することも大事だと思いますし、根本にそういう気持ちがないと、選手としてだけではなく、アスリートとしてやっていけない必要不可欠な部分だと思います。時にはそれが良くない方向に行ってしまうこともありますが、そこはうまくバランスをとりながらやるべきだと思いますね」 実は、このエピソードには続きがある。後日、小川は自らが起こした言動を反省し、鈴木監督の自宅に始発で向かった。早朝だったこともあり、インターフォンを押すことができずしばらく立ち尽くしていると、監督の娘さんと遭遇。そのおかげで無事、鈴木監督に対面できた小川は心の内を正直にきちんと伝え、謝罪した。 「中学まで無名の存在だった僕を桐光学園に誘ってくれて、ストライカーという居場所を与えてくれたのも鈴木監督。だからこそ、僕はストライカーをやり続ける責任と誇りがある。『本物のストライカー』になりたいんです」 後になって真相を打ち明けられた筆者は、この一件から小川を特別視するようになった。 怒りと責任と野望。不器用さゆえ、その“本気”が時には歪んだ形で相手に伝わってしまう。ただ、謝罪のエピソードから分かるように、当時から冷静に自分を客観視できる力が小川にはあった。 それはプロの世界でも十分に生かされている。厳しい批判を受けても、謂れのない噂を耳にしても、常に目標に到達するイメージを失わなかったからこそ、再び日の丸を背負うことができたのだと思う。 次稿の最終回では、オランダでの活躍の要因から日本代表への想い、ライバル上田綺世に対する思いまで明かしている。 〈第3回へ続く〉
(「“ユース教授”のサッカージャーナル」安藤隆人 = 文)
【関連記事】
- 〈つづきを読む→第3回〉「(上田)綺世に限らず、FW全員がライバル」2年前に小川航基が抱いた使命感…「W杯ベスト8の壁を破るためには自分のようなFWが必要」
- 〈あわせて読む→第1回〉「世間ではもう“終わった選手”だと…」サッカー日本代表・小川航基26歳が“消えた天才”にならなかった理由「でも腐ったことは一度もない」
- 【画像】「左膝がブチッ…」堂安も冨安も泣いた悲劇のU-20W杯“小川航基の運命を変えた大怪我”ピッチに倒れ込んだ瞬間 「コウキ~!!」オランダの子供達に大人気な小川&争奪戦になった高校時代~茶髪イケイケ期まで全部見る(50枚超)
- 【必読】「お酒に逃げた」25歳で引退した堂安律の“元相棒”が初告白…“遠藤保仁の後継者”と呼ばれた天才パサーの後悔「なんであんな行動したんやろ」
- 【話題】“消えた天才”あの高校サッカー得点王は今…「もしかして、あの平澤さんですか?」“Jリーガーにならなかった男”が選んだ超一流企業の仕事