桑田佳祐も立川談志さんも“芸を盗んだ”三大話芸『浪曲』の魅力を語る浪曲師の“浪花節”半生
入門するには厳しい審査があると思われたが、あっけなかった。 「師匠に“もう弟子はとらないのでしょうか”と聞いたら“やる気さえあればお教えしますよ”と言われて、入門が決まりました(笑)。夫も理解してくれて、修業をすることになりました」 こうして浪曲師としての日々が始まった。 「浪曲の“節”を歌うように語ることを、私たち浪曲師は“唸る”と言うのですが、台本のある物語とは別に“節”のメロディーは師匠から口伝で教えられるものであるため楽譜はありません。例えば、一つの物語の中に“悲しい節”だったり“嬉しい節”があるのですが、音程が毎回、違ってくる。最初はうまくできず、師匠が録音してくれたICレコーダーを聞いて、繰り返し練習をしました。最初は“伴奏する三味線に声を乗せるの”と、よく注意されましたが、全然わからなくて」
育児と仕事を抱えながら初舞台へ
浪曲は、三味線を弾く“曲師”と物語を語る“浪曲師”の2人1組で行われるのが基本。澤は育児と仕事を抱えながら、浪曲の修業に励んだ。そして2007年、初舞台を踏む。 「初めての舞台は頭が真っ白になって、まったく覚えていないんです。師匠からは“まあまあだったけど、眉間に皺を寄せちゃダメ”と言われました。緊張しすぎて、しかめ面になっていたようで……」 散々な初舞台を終え、再び修業の日々が続く。上達が見えず、諦めかけたこともあったが、必死に食らいついた。 「自宅で寝るときは、いつも録音した師匠の口演を聞いていました。娘も一緒に聞いていたので、すっかり耳が肥えてしまって。私の口演を聞きに来た娘に“何点だった?”と尋ねると“100点満点で30点”と、師匠以上に厳しい評価をしてくれました(笑)。ただ、最近になって自宅で自分の口演の音源を聞いていたら、帰ってきた娘が“師匠の口演?”と言うんです。それは嬉しかったですね」 2012年には、師匠から一人前として認められる。それから、少しでも多くの人に浪曲を知ってもらえるように、5分~10分ほどの新作『浪曲ショートショート』を発表するなど尽力してきた。浪曲師たちのこうした努力によって、浪曲に興味を持つ人は少しずつ増えているという。 「浪曲師が増えているだけでなく、聞きに来てくれるお客さんも変わったなと思います。しかし、落語や講談に比べると、まだまだ。かつて落語家の立川談志師匠も、私の師匠を目当てに浪曲の口演を聞きに木馬亭を訪れていました。というのも談志師匠は、私の師である澤孝子の師匠で1964年に亡くなった二代目広沢菊春に憧れていたんです。 二代目菊春師匠が口演している際中、談志師匠は楽屋にある菊春師匠のカバンを開けて“ネタ帳を見せて欲しい”と菊春師匠の弟子であった菊奴(きくやっこ・当時の澤孝子さんの芸名)に嘆願したそうなんです。菊奴は根負けして、談志師匠はネタ帳を盗み見ていたこともあったみたいです。菊春師匠は潔癖症だったので絶対に許さないと思いきや“放っておきな”と言うだけだったそう。才能のある人だから、許したのかもしれません」