巨人ドラ1石塚裕惺、最後の夏に果たした「約束」花咲徳栄入学前に亡くなった祖父が「見守ってくれたからかな」
巨人からドラフト1位指名を受けた花咲徳栄・石塚裕惺(ゆうせい)内野手(18)のルーツに迫る連載最終回は、高校時代を振り返る。 石塚はグラブに「約束」の2文字を刺しゅうしている。花咲徳栄への進学を決めた時に父方の祖父・清さんに「甲子園に連れていく」と誓った。しかし、熱烈な巨人ファンで孫のプレーを楽しみにしていたという清さんは、花咲徳栄に入学する前に亡くなった。「見ててくれていると思う。約束を果たせるように頑張りたいと思って『約束』と入れた」 名将の下で磨かれた。広角打法に強肩を兼ね備えた素材の高さが光る一方で、数々の選手をプロへ送り出した内野手出身の岩井隆監督(54)には見抜かれた。「運動量がまだ少ない。いいショートはどの方向の打球にも足を運ぶし、カバーリングにももっと動くものだよ」。バントや速い打球への対応で瞬発力を強化する狙いもあり1年時は三塁で出場。1年秋からレギュラーになり、スケールは増していった。 2年夏は県大会決勝で浦和学院に敗戦。最後の打者になった。「自分で終わらせて悔しかった」。涙でユニホームをぬらした。敗退の翌日。寮にある自分のロッカーに新聞の切り抜きを貼った。甲子園を決めた浦和学院ナインが歓喜する写真が掲載された記事だ。「悔しさを忘れないように」。毎日、目に焼き付けた。 寒さが染みるようなった高校2年の12月。指揮官から高卒プロ入りへの覚悟を改めて問われた。迷いはなかった。「行きたいです」。強い意志を伝えた。「私生活も含めて常に気を張るように監督から言われて、もっと意識するようになった」。12月から3か月間、主将も任された。チームは秋の関東大会準々決勝で敗れ、センバツ出場は厳しい状況で迎える冬場の日々。「一番しんどかった」。100人近い部員を同じベクトルに向けるのは簡単ではなかった。伝統の砂場でのランニングや重さ約10キロのハンマーでタイヤをたたく過酷なメニューで先頭に立って仲間を鼓舞。チームに目を配りつつ、自主練習ではバットを振り込んだ。夜食には岩井監督特製チャーハンで食トレ。心技体で進化を遂げた。 最後の夏は初戦の第1打席から本塁打を放つなど存在感を発揮し、勢いそのままに埼玉制覇。悲願の甲子園切符をつかんだ。打率4割6分2厘をマークし、「約束」の文字を刻んだグラブで臨んだ守備は無失策。「おじいちゃんが見守ってくれたからかな。約束を果たせて良かった」。最高の報告ができた。 高校入学時の目標だった「甲子園」と「ドラ1」を達成してプロの世界に飛び込む。「将来的には2000安打、シーズンで3割30本打てるように」。大志を抱く巨人・石塚の物語が始まろうとしている。(宮内 孝太)=おわり=
報知新聞社