江戸時代の老親介護「担い手は男性メイン」だった納得の理由
『官刻孝義録』で表彰対象となるのは、孝行、忠義、忠孝、貞節、兄弟睦、家内睦、一族睦、風俗宜、潔白、奇特、農業出精の11種類です。このうち「孝行」の中に親に対する子の介護行為、「忠義」の中に奉公人の主人に対する介護行為が含まれています。「伝文」が付与されたものについては、表彰に至るまでの行為が細かく記されており、実際の介護の様子がある程度分かります。ただ伝文は長いものが多く、全文掲載は難しいため、内容のまとめをご紹介します。
■父を支えた二人の娘 ・大和国(現在の奈良県)高市郡観音寺村に住んでいた「小ゆり」「くに」の姉妹 観音寺村に住んでいた百姓・佐兵衛には4人の娘がいました。佐兵衛は長年目を病んで、片目が見えなくなり、もう一方の目はおぼろげに見える状態。中風も重ねて発症し、農作業も不自由になりました。 4人姉妹のうち、長女の「小ゆり」は婿を取ったのですが、後に婿は家を出てしまいます。二女、三女は結婚して家を出て、末っ子の「くに」と「小ゆり」とで父・佐兵衛の暮らしを支えていました。また母も持病があり、「小ゆり」と「くに」は二人で両親の世話を続けました。
やがて佐兵衛は盲目となり、家の中での行動も思うようにいかなくなりましたが、「小ゆり」と「くに」は佐兵衛が廁(かわや〔トイレ〕)に行く際には移動の介助を行いました。必要があれば、いついかなるときでも助けないことはなかったといいます。 そのうち佐兵衛は体が弱り、家の中にこもりがちになります。気分が良い日は家族が使う草履を作りましたが、二人は「父の作ったものだからもったいない」と、母にだけ履かせました。その後も「小ゆり」と「くに」は父母のケアを丁寧に続け、やがて佐兵衛は79歳で亡くなります。
生前、父が田んぼのあぜ(土のしきり)を触ったときにできた手形に目印の竹を立てた二人は、それを形見として大事にしたそうです。二人は領主から「孝行者」として表彰され、銀をもらいました。 両親のケアをした姉妹の介護事例です。父は眼病と中風を患い、自力で廁にも行けなくなったため、「小ゆり」と「くに」は排せつの支援を行っています。父の手の跡を形見として大切にした様子から二人の父に対する深い愛情が読み取れます。