大波乱決着の裏に超過酷な減量との戦い…トーホウシャイン高野が最低人気V/2008年マーメイドS
【記者が振り返る懐かしのベストレース】02年のデビュー1年目から障害戦に騎乗するなど、様々な方向性、可能性を模索していた高野容輔にとって、騎手人生の大きな分岐点となった一戦が08年のマーメイドSだった。 【表】大波乱決着となった08年マーメイドS 最初に所属した福永甲厩舎では師匠の成績が振るわず、騎乗馬に恵まれない日々が続く。心機一転、フリーに転身して現状打破を図ったが、状況は何も好転せずにただ時間だけが過ぎていった。そんなもがき苦しみ、先の見えない状況下でつかんだのがトーホウシャインへの騎乗だ。 JRAから月曜夕方に発表されたハンデは48キロ。それまで主戦を務めていた川島はその斤量では騎乗できない。鞍上が空白になったのを逃さず、自ら騎乗を懇願した。 「火曜の朝に厩舎サイドに騎乗させてほしいと伝えた。48キロに乗れるジョッキーがほとんどいなかったので、その日に騎乗が決定しました」 ここから過酷な減量生活が始まる。火曜朝の時点で体重は50キロ。レースまでには最低でも3キロ以上の減量が必要だった。 「軽い馬装なら3キロで済んだんだけど、トーホウシャインはササる馬で鞍もスポンジも分厚いのをつけてやりたかった。それだと46・3キロまで落とさないとダメ。嫁さんの協力で野菜中心の食事に変え、47・5キロまではすぐ落ちたんですが…」 ただでさえ極限に絞り込んでいる体をさらに絞るのは至難の業。レース前日には47キロまで落ちたが、それでもまだ足りず競馬が終わってからサウナスーツを着込んで栗東トレセンの馬場を何周もランニングしたという。 「もう落とす肉がなくなってすれ違う人がビックリするくらいの体になっていた。前日の夜中はなかなか寝付けずにコーラを飲んでしまったけど、日曜朝の攻め馬に参加して何とかリミットまで落とせた」と血を吐く思いの減量生活を振り返る。 本人の努力、家族の支えが実を結んで、レースでは直線で内からスルスルと抜け出し、最低人気を覆す快勝劇を飾った。 「みんなの手が動いているときに僕のは持ったまま。掲示板はあるかなと思ったが、まさか1着でゴールできるとは…。苦労した時期は長かったけど、やっぱり何事もあきらめたらダメだなと」 とんでもない大波乱決着(ちなみに3連単は193万円超)の年と記憶している方が多いと思うが…。努力は決して人を裏切らない――。高野に大切なことを教えてもらった、記者にとってのベストレースだ。(2010年6月16日付東京スポーツ掲載)
東スポ競馬編集部