強豪校中退→クラブチーム&通信制高校から大学へ…仙台発MAX152キロ “ナゾのプロ注左腕”渡邉一生(20歳)の波乱万丈「150キロの変化球投手に」
人との出会いで人生はガラリと変わることがある。侍ジャパン大学代表の一員として自身初の国際大会を戦っている仙台大の3年生左腕・渡邉一生もその1人だ。今では最速152キロを投じ、来秋のドラフト候補にも挙がる注目株だが、高校中退という過去を持つ。 【写真】「えっ、何頭身なの…?腕と脚なっがい…」170cmの小柄なのに…渡邉一生(20歳)の長いリーチとしなる剛腕。好投を見せた大学侍ジャパン合宿での投球模様も…この記事の写真を見る(50枚超) 大学当初の渡邉を「問題児でした。いい奴なんですけど、カッとなってしまうことがあって」と笑うのは、仙台大の2年先輩で現在は三菱重工Eastでプレーする右腕の川和田悠太だ。川和田は渡邉が「師匠」と慕う恩人だ。
想いが先行し…野球強豪校を退部&退学
それまでの渡邉は、「プロ野球選手になりたい」との思いが先走りすぎていた。高い向上心はアスリートとして必須なことではあるが、それが「自分のために」となりすぎて周囲との軋轢を生むこともあった。日大藤沢高では2年秋までプレーしていたが退部・退学を選んだ。 「プロに行きたいという思いがあったので不安だったんです。怪我をして治ったら外野手のスタメンになって。それはそれでありがたかったのですが投手に復帰できず、投げる機会が減ってしまいました。そこで踏ん切りをつけました」 だからこそ、クラブチームのBBCスカイホークス(現・GXAスカイホークス)に行ってからは、やらされる練習は少ないものの「やらなかったらやらなかった分、力が落ちていってしまうので必死にやりました。自分で使える時間が多くなったので、トレーナーさんをはじめ、いろんなところに通うことができて技術面が向上しました」と、体づくりや技術面で様々な人の教えを受けた。 結果として高校3年時(※日本航空高の通信制に転校)には最速146キロまで到達し、複数のNPB球団が獲得に興味を示した。しかし、育成ドラフトを含め渡邉の名前は最後まで呼ばれなかった。 「自信があったのでショックでした」と当時を振り返るが、今となっては納得している。 「やっぱりマウンド上での態度など、一喜一憂して球審の判定に不満を露わにするなど至らないところがありました。それに、野球部という組織に3年いられなかった影響はあったと思います」
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