日本が実現すべき「米国の国益を超えた民主主義」とは何か?《保阪正康氏が4カ条を提唱》
東西冷戦が占領政策を変えた
アメリカが日本に説く民主主義は占領政策とともに大きく変容したのである。日本が降伏文書に調印し連合国軍の占領が決定した1945年9月2日から、サンフランシスコ講和条約が発効し日本が独立を回復する1952(昭和27)年4月28日までの日本占領期間は、二つの時代に画然と分かれていた。占領前期と占領後期に分けて考えると、日本に対する占領政策は見事に分断されている。 占領前期は、民主化、非軍事化という理念の徹底的な実現であり、戦前の日本の解体による戦後の再建であった。 占領後期は、東西冷戦の下、極東アジアにおける反共のための橋頭堡としての役割を日本に担わせることであった。 占領前期の民主主義を非戦思想とキリスト教によるヒューマニズムと評するなら、占領後期の民主主義は潜在的には軍事もともなう反共自由主義とも言うべき意味を持たされたと言える。まったく方向性は異なるが、共通するのは、「アメリカの国益に合致する民主主義」ということであった。時々刻々の世界情勢のなかのアメリカの恣意によるわけだから、占領政策には普遍性はないと考えるべきだったのである。 日本は占領を脱してからも、冷戦期はアメリカの後期占領政策の方向性の下に従属してきた。冷戦終結後も、政治、軍事、経済、文化に至るまで、アメリカの影響力は甚大であり、日本の意志的な選択を実現させることが困難な体質、そして巨大な力に依存する体質は変わらずにここまできた。その原点を現代史というスパンで考えるとき、戦後民主主義とされるものの実態がアメリカン・デモクラシーであったという現実を正確に理解してこなかったことが大きいのではないだろうか。 先に私はアメリカへのアンビバレントな心理を自ら対象化する必要について触れたが、それは、アメリカン・デモクラシーを検証したうえで、それが民主主義の本質とどう関わるのか、またアメリカン・デモクラシーという「アメリカの国益に合致する民主主義」を超える「普遍的な民主主義」を私たちがどう構想するのかという問いでなければならない。その道筋なしには、日本がアメリカと対等な関係を取り結び、自立した民主主義を身につけることはできないであろう。 では、「普遍的な民主主義」とはどのようなものか。近現代史を検証してきた私なりの視点で焦点を絞り、次の4点を挙げておきたい。 (1)基本的人権が自覚され、社会の共通意識になっている。 (2)市民という概念が共有され、国民、臣民という意識を超えている。 (3)基本的人権の意識が行き渡っていることを前提として、立法、行政、司法の三権が確立している。 (4)国際関係を軍事ではなく外交によって築こうとしている。 この4点を、「普遍的な民主主義」の条件としておきたい。この4条件を自覚し、実現しようとすることが、戦後民主主義という名のアメリカン・デモクラシーを超える「普遍的な民主主義」への道だと考えるのである。この4点から私たちは、近代史の中軸であった軍事主導体制を厳しく検証しなければならないし、戦後のアメリカに従属した日本のあり方、政治の方向性を確認し直す必要があるだろう。ここから歴史と現在を見つめると、私たちが真に批判すべきは何なのかが明確になってくるように思える。 その意味から、(1)についてあえて付言しておきたい。基本的人権とは、最も根源的な生存権に始まり、平等の原則、表現の自由、思想の自由、政治参加の自由などを指し、これらが、生を受けた瞬間から尊重される社会でなければ「普遍的な民主主義」は成り立たない。生を受けた瞬間から、ということは、子どもを育てる親や社会が基本的人権を認識していることが前提となり、そういった意識の循環や世代間の申し渡しが行われるのが民主主義社会であるとの理解にもなる。 ※本記事の全文は、「文藝春秋」2025年1月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されています(保阪正康「 『親米保守』という大いなる矛盾」 )。 全文では、ペリーの来航から第二次世界大戦の終結に至るまでの日米間の関係、五箇条の御誓文にみる民主主義、アメリカ大統領選挙における民主党の敗因などについて語られています。
保阪 正康/文藝春秋 2025年1月号