おばあちゃんになった フィリピン人エンターテイナーのいま 日本でどう暮らしているか
日本にすっかり定着したフィリピン人はどのように暮らしているか。1980年代に日本に来た第1世代は孫がいる年代になっています。 【写真】各地で行われているフェスティバル 変わるその姿を、在日フィリピン人の音楽活動などを研究している静岡県立大学国際関係学部の米野みちよ教授に聞きました。【聞き手・須藤孝】 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇「ニューカマー」の定住者 ――在日外国人のなかでフィリピン人はどのような位置にあるのでしょうか。 米野氏 日本には旅行者や短期滞在者をのぞいて中長期でいるフィリピン人が約30万人います。その約80%が「永住者・定住者」にあたるビザをもっています。 「永住者・定住者」は永住ビザとそれにつながる配偶者ビザ、日系人のビザなどを持っている人たちです。 ――そんなに多いとは思いませんでした。 ◆在日外国人統計を見て、国籍別でフィリピン人は4番目に多い、とよく言われます。1番目中国、2番目ベトナム、3番目韓国の次です。 中国と韓国は歴史的経緯があり、定住者が多くいます。ベトナムは「永住者・定住者」は少数です。「永住者・定住者」で考えるとフィリピン人は中国、韓国に次ぐ3番目です。 「ニューカマー」と言われる人たちに定住者が増えてきたことは、大きな意味があります。 ――「ニューカマー」といっても歴史があります。 ◆80年代から来はじめたエンターテイナーの人たち、ここ10年ぐらいに来はじめた看護師、介護士の人たち、そして技能実習生、それぞれ違いがあります。 技能実習生は2、3年我慢しておカネを稼いで帰ることが基本です。 一方、看護師や介護士はフィリピンの場合、英語圏に行く選択肢があるなかで、日本語を勉強して日本に来ています。現場でハラスメントなどの苦労はしていますが、日本の介護や看護を学ぶことに魅力を感じています。 ◇日本に骨をうずめる? ――長く日本にいる第1世代の人たちはどうなっているのでしょう。 ◆80年代、90年代に来た人たちは50代、60代になって、早くも孫がいます。若いころ、苦労した話はよく聞きます。 トラブルなどがあって帰った人も多いので、今いる人は日本社会で生き残った人でもあります。日本を客観的に見ることができる特徴があります。 たとえば日本が、世界の中でも特別に子育てをしにくい国である、というのは世代を超えての共通認識です。 ――日本をどうみているのでしょう。 ◆日本で上手に生き延びて定住者になっても、日本に骨をうずめる覚悟かというと必ずしもそうではありません。フィリピンでの老後を想像しながら踏み切れない人も、子や孫が日本やフィリピン以外の国に行く人もいます。 若い人たちは、永住ビザをとっても、保険になるから逆に別の国に行く冒険ができます。米国やカナダに行ってみて、だめだったら日本やフィリピンに戻れる、と考える人も多いのです。 ただ日本はフィリピンから近く、週末にいとこの結婚式で里帰りができます。欧米ではなかなかそうはいきません。 ――若い世代は変わってきます。 ◆私が務めている県立大学でも、フィリピンルーツの子どもが入学してきますが、さほどこだわりなく自分のルーツを話す子がいて、隔世の感があります。 40代くらいの2世たちは、子ども時代にはフィリピンがルーツであることを隠さなければならない状況もありました。少しづつ変わってきていると感じます。 ◇公民館でのど自慢大会 ――日本にいるフィリピン人の音楽を研究されています。 ◆日本にいるフィリピン人のコアには元エンターテイナーの人たちがいます。日本の演歌もうまかったりするのですが、一昔前のフィリピンや米国の歌には思い入れがあり、植民地の歴史もあって複雑なアイデンティティーがあるようです。 ただ、日本人と結婚した場合はフィリピン人としての要素を隠すことがありました。英語を自由に話せるのに、学校ではわざと日本語なまりのカタカナ英語を使ったという2世もいました。 そうした時代背景のなかで音楽もあまり引き継がれていないように思います。 ――音楽は大切なものです。 ◆在日フィリピン人がやっている歌のコンテスト、のど自慢大会があります。日本人も参加できるのですが、地方大会と全国大会があり、全国大会になるとほぼ全員フィリピン人になります。 エンターテイナーだった第1世代の人たちが、引退して始めた側面があります。 地方大会のほとんどが地域の公民館で開かれています。昔はフィリピン人が集まる場所は教会しかありませんでした。教会を使っているかと思いましたが、そうではありませんでした。 公民館という公共の場が場所を提供し、在日フィリピン人も一市民として使いこなしていることに注目しています。 もっとも公民館の申し込みは日本語です。行政用語が並び、日本語を母語とする人でも理解が難しいものです。そうしたところはまだまだです。一方でフィリピン人のコミュニティーにも難しい行政用語も使いこなせる人がいる、ということでもあります。 ――自治体の多文化共生のイベントでフィリピン音楽が披露されることがあります。 ◆そうしたイベントに関わったこともあります。悪いことではありませんが、見せるイベントであり、フード、ファッション、フェスティバルの「3F」だという批判があります。 その時だけのお祭りで、日常とつながっていないという批判です。歌のコンテストのような、彼らが身内で実際にやっている音楽とのギャップは大きいと感じます。 多文化共生のイベントの多くは、運営は日本語が前提になっています。外国人コミュニティーの代表が入っていても日本語ができる人です。多文化の尊重というよりは、「日本化」の強要にもなりかねません。 少ない予算でがんばっている自治体も多いので、難しい問題ですが、企画から日本語以外を入れることが、内容が変わる一歩かもしれません。(政治プレミア)