工藤夕貴「俳優ではなく歌手になりたかった」有名人の娘であることを隠して12歳でデビュー 味わった挫折と葛藤の日々
私も正直なところ親の七光りではなく自分でどこまでやれるかやってみたいと思っていました。そして、自宅のある八王子からオーディションを受けに行く日々が始まりました。
■オーディションに落ちたくて意図した生意気な態度がウケて ── デビュー当時のCM「お湯をかける少女」で、やかんを持ちセーラー服姿で駆けてくる姿はとてもインパクトがありましたね。瞬く間に人気が爆発しましたが、当時はどんな心境でしたか? 工藤さん:まさかそんなにCMがウケると思っておらず、びっくりしました。当時の事務所がモデルクラブのような会社だったこともあって、モデルさんが受けるオーディションにばかり行っていました。するとどんどんCMのお話が決まっていって、会社の人もみんなびっくりしていましたね。私は歌手になりたかったので、そのためなら「何でもやります!」という感じでした。
父は歌手で「歌手は歌に集中するべき」という考えの持ち主で、お芝居をやると歌手の本分がボケてしまうと言っていたんです。だから、私も歌に集中したかったんですけど、そんな気持ちと裏腹に、映画『逆噴射家族』や『台風クラブ』などの注目の集まるオーディションが来たりして。事務所からは「やりたいとかやりたくないとかではなく、決まるかどうかわからないんだからオーディションは受けたほうがいい」と言われ、意見を戦わせたりしていました。
「落ちちゃえばいいや」と思って、あえて中学生らしからぬ生意気な態度でオーディションに臨んだら、意外に決まったりして。そこが「逆にいい!」と(笑)。「役的にはそのキャラクターがおもしろいからそういう感じでいい!」と、予想に反してうまく仕事が決まってしまった。歌手になりたかったけど、CMやドラマに出たり、役者の色が濃くなっていき、いつのまにかお芝居が中心になっていきました。
■子役は学校よりも仕事が優先で、現場は想像以上に過酷だった ── 中学生、売れっ子の子役として休む暇のない日々が始まったかと思います。当時はどのような日々だったのでしょうか? 工藤さん:振り返ると、正直あの頃の現場は幼いながらにほんとにつらかったですね。当時は今と違って子役は一番最初に呼ばれて最後に返される時代で、朝は始発で現場入りして帰りは終電も終わってしまい誰かのタクシーに相乗りさせてもらい、夜中に帰宅するみたいな日々だったんです。