「ほとんど苦しかった」34歳ベテランスイマー・入江陵介が引退を決断した瞬間 18年背負い続けたもの、パリへつないだ希望
◆「ようやく超えてくれた」
代表に居続ける喜びを感じる一方、ジレンマも抱えていた。 日本選手権100mでは、2014年から負けなし。つまり、男子背泳ぎの未来を託せる後継者がいなかった。 松岡:「家で考えたら“背泳ぎの家族を育てているのは自分だ”という感覚ですね、ずっと自分が引っ張ってきた。でもなかなか育ってこないな、追い越してほしいな、と」 入江:「やっぱりどこか寂しい気持ちはありました。自分が辞めてしまったら背泳ぎ代表がゼロになるという時代もあったので、強い日本を取り戻してからやめたい、後輩が戦える位置になったらやめよう、とかいろいろなことを考えていました。最後は自分自身の意思だったんですけど、自分自身の意思じゃない部分で現役を続けていた部分もたしかにあるので…」
孤軍奮闘してきたベテラン入江。 しかし、昨年2023年の世界水泳福岡では、準決勝にも進めない自身初の予選落ち。年齢的な衰えは隠せなくなっていた。 そして今年4月、日本競泳界初の5大会連続出場を目指し、迎えた代表選考会。 100mでは代表権を獲得できず、200m決勝が正真正銘のラストチャンス。派遣標準記録を突破したうえで、2位以内に入ることが条件となる。 前半から飛ばし、2番手の好位置につけ、派遣記録を切るペースでラスト50mへ。しかし、順位を1つ落とし3位でゴール。パリへの道は断たれた。 ところが、プールから上がる入江の表情は、意外にも晴れやかなものだった。 松岡:「今回、背泳ぎのレースの中で、なんでこんなに喜んでいるんだろうって思ったんです」
入江:「自分自身はタッチして『悔しい、ダメだった』と思うのと同時に、竹原くんが決めてくれて嬉しかったという感じですね」 今回初のオリンピックを決めた竹原秀一。入江が初めて世界大会でメダルを獲得したときと同じ、19歳での飛躍となった。 入江:「たけちゃんって呼んでいるんですけど、試合前の施設でよく一緒にご飯を食べたり、試合中もよく話したり、(代表選考会の)準決勝が終わった後に『一緒に2人で入りたいね』という話をずっとしていました。僕自身その夢を叶えることはできませんでしたが、こうやって彼が 選考会を突破してオリンピック出場を決めたことはすごく喜ばしかったですね」 松岡:「自分が選ばれたわけじゃなく、新しい選手が選ばれた。どうして嬉しかったんですか?」 入江:「僕自身、若い選手にもっと入ってきてほしいという思いがありました。やっぱり僕しか代表がいないときがあったので」 松岡:「遅い!っていう感じ?」 入江:「やっときたかみたいな気持ちもどこかにありました。ようやく超えてくれた。正直自分の壁は最後の最後はあんまり高くはなかったですけど、自分を破って優勝して決めてくれたことは、僕自身もある意味すっきりさせてくれました」 松岡:「壁を破ったということですか?」 入江:「最後は薄っぺらい壁だったとは思うんですけど、自分を超えて日本代表に入ってくれた。そのタイミングで自分が下がることになったのは、自分にとってすごく喜ばしいことでした。もちろん悔しさはめちゃくちゃありましたけれど、水泳界的には喜ばしいことだと思うので、そういった気持ちになれました。気持ちよく後輩に『がんばって』と思えたのが辞め時だったのかなって…」
松岡:「日本代表、家という自分の役割がひとつ終わった感覚はあったんですか?」 入江:「ほっとした部分はありました。ようやく終えることができる、やめることができるという感覚になりました」 16歳から背負い続けた日の丸の重み。尊敬する先輩たちから影響を受け、一番の居場所で、大切にすべきことを守り続けた。 世界の頂点には立てなかったけれども、世界一美しいフォームは人々の記憶に刻まれている。 入江陵介、34歳。背負い続けたものを降ろし、新たな人生を歩む。