亀田製菓インド出身会長は「カテキン」の生みの親だった! 研究者から経営者へと転身した、不屈の仕事魂
「亀田の柿の種」「ハッピーターン」などでお馴染みの亀田製菓CEOはインド出身だった! ジュネジャ・レカ氏インタビュー第2回は、研究者から経営者になったというそのキャリアについて、そして亀田製菓が取り組んだ組織改革について語る。 【写真】亀田製菓の商品、尾西の携帯おにぎり・柿の種
仕事こそ私の魂。寝ずに働くのは当たり前だった
2022年に亀田製菓代表取締役会長CEOに就任したジュネジャ・レカ氏。アレルゲンの少ないグルテンフリーの米菓は世界にこそ売り出すべきだと、海外事業に力を入れ会長就任後、海外事業部の売り上げを約1.5倍に増加させた。 その仕事人としてのキャリアは、意外にも研究者からスタートしている。 「インドの大学院で微生物を研究し、1984年に大阪大学へ研究員としてやってきました。当時のインド人の先輩が『これからは日本だ、日本に行きなさい』とアドバイスしてくれたことがきっかけです。まさに微生物研究では日本がトップ、日本のGDPも当時インドとはかけ離れて高かったのです」 インドから家族を連れて日本にやって来たジュネジャ氏。寝食を忘れ研究に没頭するあまり、他の研究員に「奥さんと仲が悪いから家に帰らないんですか?」と訝しがられたこともあったという。 「『妻とは仲良しですよ。でも微生物は眠らないので、私も寝ないのです』とその時は返しました(笑)。仕事こそ私の魂。そう思っていますから、休まず仕事をするのは今でも当たり前のことなんです。ワークライフバランスが叫ばれている今の時代には逆行しているかもしれませんが(笑)」
“出口のある”研究をする
その後は、食品や化粧品の素材を開発・販売する会社、太陽化学に入社し、食品素材の研究を担当した。 そこでお茶の研究を行い、「テアニン」と「カテキン」の抽出にジュネジャ氏は成功する。ストレスを緩和する成分のあるテアニン、抗菌作用のあるカテキンを茶葉から生み出し、飲料や食品に使用できたら。そう考えてジュネジャ氏は世界の飲料・食品メーカーに営業に出向くように。現在多くの飲料などの商品でその表示を見ることができるのが、その成果なのだ。 「研究をして終わりではない、自分の商品をつくりたかったんです。世界中を飛び回り、茶カテキンを製品にすべく営業もしました」 研究から企画、営業から販売戦略まで、あらゆることを成し遂げてしまうジュネジャ氏は、入社から14年で太陽化学の代表取締役副社長に就任。これまでに200以上の論文を書き、135の特許を取得していた。 「135の特許のなかには、モノにならなかった、商品にならなかったものもたくさんあります。その経験を経て私は『出口のある研究をしなくてはいけない』と思うようになりました。どんなすごい研究でも、商品が生まれなければ、買ってくれる人がいなければ意味がない。そして出口=商品化が見えて、お客さんの姿がイメージできてきたら、その次にすることは販売戦略を立てること。自分で生み出したものを、自分でお客さんに届ける。そのために会社がどうあるべきかも考えなくてはいけない。 研究者、営業マン、経営者。それぞれかけ離れた仕事のように言われることもありますが、私の中でやっていることは一貫しているのです。自分で商品をつくりお客さんに届けたい、ただそれだけのことなんです」 その後、ロート製薬に入社、シークァーサーからサプリをつくる研究に携わり、ここでも取締役副社長を務めた。 「食という漢字は『人』の中に『良』と書く。社会を良くするために、食は不可欠ですよね。そのための仕事をしてきたつもりです。そのなかで、日本人が愛してきた米を扱う亀田製菓にたどり着いたのは必然かもしれません」 日本に住んでおよそ40年。日本食を好み、日本で生まれた息子の好物はおにぎりだという。 「息子がカナダに行った際、日本のおにぎりが恋しいというのです。インド人の子供が、カナダで日本のおにぎりを恋しがる、ちょっと面白いですよね(笑)。日本の食、そして米製品の凄さは全世界にもっと伝えられるはずです」 亀田製菓グループの尾西食品では、アルファ米の入った袋に水を注ぐだけでおにぎりができる「尾西の携帯おにぎり」を生産。パックを折れば手を汚さずにおにぎりになるしかけで、災害時の非常食やアウトドアなどでも人気だ。 「パッケージに折り目が複雑に入っていて、こういう細かい仕組みは日本人にしか考えつかない。日本人のクラフトマンシップが生み出した製品でしょう。きっと世界は驚くはずですから、なんとかこの製品を世界にと考えているところです」