中森明菜に「憧れ」抱く酒井法子、衣装で影響力絶大のスタイリスト・東野邦子さんに直談判!「少しでも近づきたい…」
「記憶する限り、明菜は『飾りじゃないのよ涙は』あたりから一気に変わった感じでしたね。肩パットの入ったバブリーなスーツに、当時流行していたアーストンボラージュ系のスタイルになっていったのです。これらは、おそらくスタイリストだった東野さんの影響だったと思います」
東野さんは現在でも各メディアなどで活躍しており、藤あや子や坂本冬美ら数多くの女優やアーティストからの信頼も厚い。酒井の衣装は継続しているというが、一方で明菜とも連絡を取り合う関係だ。
明菜は当時、次のようにも語っていた。
「見ていた方も同じだと思いますが、現場にいた私も、本当に華やかな時代だったと思っています。私だけじゃなくて、みんなが凄く忙しそうで、自分をいかに綺麗に見せようかって、本当に必死になっていたと思います。自分は、こうやった方がカッコいいと思っても、『みんなが喜ぶから』を先に考えていたのかもしれません。露出される時間が、今に比べたら本当に多かった時代ですし、見ている人たちのため、を最優先に考えて動かなきゃいけないと思っていました」とし、さらにその上で「自分自身が『紅白』やベストテン番組を楽しみに、ずっと見ていた時の気持ちを絶対に忘れちゃいけない、と思い続けていました。『今回はどんな衣装なんだろう』『どんな笑顔を見せてくれるのかな』って。同じ立場で見ている方がいるから、その気持ちを忘れないと…」。
明菜のそんな思いは、今もあらゆる場面で受け継がれている。
■中森明菜(なかもり・あきな) 1965年7月13日生まれ、東京都出身。81年、日本テレビ系のオーディション番組「スター誕生!」で合格し、82年5月1日、シングル「スローモーション」でデビュー。「少女A」「禁区」「北ウイング」「飾りじゃないのよ涙は」「DESIRE―情熱―」などヒット曲多数。NHK紅白歌合戦には8回出場。85、86年には2年連続で日本レコード大賞を受賞している。