現役引退の沖縄電力・金城長靖 恩師と盟友への思い
【球界ここだけの話】社会人野球、沖縄電力の金城長靖内野手(36)が今季限りで現役を引退する意向を固めた。入社18年目の決断。「やり切った感はあります。常に結果を残さないといけないと思ってやっていた。そういう意味ではちょっとホッとした部分はあります」と率直な心境を語った。 沖縄・石垣市出身の金城は小学2年で「八島マリンズ」に入部し、本格的に野球をスタート。石垣第二中学時代は硬式野球チーム「八重山ポニーズ」に所属し、世界大会3位の好成績を収めた。 高校は強豪校からのオファーを断り、地元の八重山商工に進学。3年時に沖縄の離島勢では初となる春夏連続で甲子園大会に出場し、その名を全国にとどろかせた。甲子園では投手として最速145キロを計測。打ってはスイッチヒッターとして計3本塁打を放つなど〝二刀流〟としてチームを夏16強入りに導いた。 心に残っている試合がある。初めて聖地の土を踏んだ選抜大会1回戦の富山・高岡商戦。甲子園初打席で左翼ポール直撃の本塁打を放った。「やっぱり1打席目。緊張でフワフワしたのを覚えている。ポールにたまたま当たっただけなんだけど、うれしかった」。感慨深げに振り返った。 恩師あっての野球人生だった。伊志嶺吉盛元監督とは小学2年からの付き合い。高校卒業までの11年間指導を受け、二人三脚でパワフルな打撃の礎を築いた。 指導者と選手の関係性を超越する間柄。「小学生のとき、練習をサボっていたら遊び場に来て『お前らグランドに戻ってこいよ』と言われたのは懐かしい」と苦笑いまじりに当時を回顧。「決めていました」と最初に現役引退の報告をしたといい「おやじみたいな存在。いい人に巡り合えた。本当に感謝しかないです」と最敬礼した。 盟友の存在も大きかった。幼馴染で同じ八重山商工高から2007年に高校生ドラフト1位でロッテに入団した大嶺祐太氏。二枚看板「投の大嶺。打の金城」としてチームを牽引(けんいん)した。「祐太が投げているときは『俺が打ってやろう』という気持ちが強かった」。高校卒業後はプロ野球と社会人野球。戦う舞台こそ違ったが「プロで頑張っている姿を見て『俺も頑張ろう』という気持ちになっていました」と言葉に実感を込めた。 来季からは沖縄電力で打撃コーチを務めるという金城。〝第2の金城長靖〟育成へ「勝つことが第1条件。その上で社会人野球は知名度が低い部分があるので盛り上げたい気持ちがあります」と視線を上げた。
06年の夏の甲子園。日本最南端の高校として快進撃を起こした八重山商工高ナインに心を打たれた方々はきっと多いはずだ。何を隠そう記者もそのひとり。中学卒業後に地元、神戸を離れて単身で八重山商工高野球部の門をたたいた。全国の野球ファンを代表して言わせてください。長い間、現役生活お疲れさまでした。そして勇気と感動をありがとうございました。(加藤次郎)