【おじさんは見た・乗った】1989年は日本車が世界の頂点に!どんなクルマがあったのか?
日本車の歴史を語るうえで、1989年は外せない年。日本車の転換点となった名車が3モデルも登場した年なのです。1989年生まれの3モデルを紹介しながら、それらが世界の自動車市場に与えた影響について、振り返ります。 日本カーオブザイヤー、去年はどうだった?過去10年間の受賞車も紹介
■世界に日本の技術力を知らしめた「日産スカイラインGT-R」
1980年代当時、シェア縮小に悩まされていた日産。状況を打破するためにとった対策が、90年代に運動性能で世界1位になるという、いわゆる「901活動」とよばれるプロジェクトでした。最高の走りをするクルマを開発し、日産の技術力を世界にアピールするというもので、名車として知られるR32型スカイラインGT-Rは、その901活動の中で開発されたモデルです。 エンジンは2.6リッターの直列6気筒ツインターボ、 RB26DETTを搭載。自主規制により最高出力は280psに抑えられていましたが、レース用のマシンとなれば最高出力700psものパワーを発揮できるポテンシャルを秘めていました。
このハイパワーエンジンの性能を余すことなく使うため、R32GT-Rには、クルマの走行状況に応じて、前後駆動力配分を0:100から50:50へと制御する4WDシステム「アテーサE-TS」や、後輪をわずかに左右へ切ることで、コーナリング時の回頭性と高速走行時の安定性を向上させる「ハイキャス」などの新アイテムを続々と投入。これらによって高い運動性能を手に入れたR32スカイラインGT-Rは、海外のテストサーキットで、BMWやポルシェといった高性能車よりも速く走り、世界中に衝撃を与えました。
この経験で自信をもった日産は、その後も世界最高の走りを目指して、R33型、R34型へとGT-Rを進化させ続けてきました。R32型スカイラインGT-Rは、日産のみならず、日本車の性能において、ターニングポイントとなったモデルなのです。
■絶滅危惧種だったライトウェイトスポーツを復活させた「ユーノス ロードスター」 ハイテクな装備や高性能なエンジンを持たず、軽量かつシンプルな設計が特徴である、ユーノス「ロードスター」。その初代ロードスターが誕生したのも1989年でした。ロードスターのようなライトウェイトスポーツは、1950年~1960年代に世界の多くのメーカーから登場していたものの、安全基準の厳格化や環境問題の影響で次第に縮小。1980年代当時は絶滅に近い状態でした。 そんな時代に登場した初代ロードスター。エンジンは1.6リッターの直列4気筒、最高出力120psというパワーは、他のスポーツカーと比べるとやや見劣りするスペックでしたが、車両総重量950kgという徹底した軽量化と、前後重量配分50:50という重量バランスの適正化を追求。