AKB48 19期研究生 花田藍衣「誰にでも『こんにちは!』って明るく挨拶するようなコでした」【連載 なんで令和にAKB48?】
2005年(平成17年)12月8日に秋葉原で産声を上げたAKB48。前田敦子、高橋みなみ、小嶋陽菜、篠田麻里子、大島優子、指原莉乃ら数々のスターを生み出し、誰もが知る国民的アイドルグループとなった。 【画像】花田藍衣のグラビア あれから十数年、元号は令和に変わり、また新たなスター候補生が続々と加入している。当時とは異なる状況で、彼女たちは何を思いAKB48になろうとしたのか? どこを目指すのか? フレッシュメンバーの魅力を深掘りインタビューでお届けです! 第5回は3月に行われた「AKB48春コンサート2024 inぴあアリーナMM」でお披露目された19期研究生・花田藍衣(はなだ・めい)。自己紹介で数千人のファンを前に「魚がさばけます」とアピールして話題に。前編ではAKB48に入るまで。クラスの中心だった子供時代や、魚をさばけるようになった理由などを語ってもらいました。 ■合唱コンクールで「男子もっと声出して」って注意してました ――まずは子供時代から振り返っていこうと思います。どんなコでしたか? 花田 コミュニケーション能力が幼い頃から高く、通りすがりの人に「こんにちは!」って挨拶するコでした。人見知りもしないです。初めて会った人とも普通におしゃべりできちゃいます。 ――幼稚園や小学校はどんな感じだった? 花田 自分から明るく「やっほー」って声をかけたり、男女関係なく話したり。あとはしつこく挨拶するコみたいな。 ――それだけ元気にコミュニケーションできたら、クラスの中心タイプですかね。 花田 小学校の頃は、合唱コンクールの練習とかで「男子もうちょっと声出して!」とか、そういうのを一番始めに言うコでした(笑)。 ――そういう女子いましたね......。 花田 男子は「なんだよ!」って感じになって、男のコvs花田みたいな。「全然言うこと聞いてくれない」って悩みを家で母によく言っていました。 ――仕切る系の女子ってことは、クラス委員をやったり。 花田 なりました。私の小学校は「こども実行委員」っていうのがあって、運動会や文化祭を子供が考えて仕切るんです。そこでのイベントの司会、あとは合唱コンクールも指揮者に立候補して、何年もやってるうちに「指揮者といえばめいめい」みたいになっていました。 ――もしかして生徒会長とかまで? 花田 あんまり重い役職はしたくなかったので、上から3番目ぐらいを狙っていましたね。 ――中学校はどんな感じだったんですか。 花田 中学は私立に入って、入学当初みんな様子見しておとなしいコが多かったので、それに合わせて静かにしてたんですけど、夏ぐらいから本性が隠しきれなくて、どんなことでも「やります!」みたいな。中学も合唱コンクールがあったんですけど「指揮者やります!」って(笑)。 でも、小学校までやってた私のキャラというか、性格が中学校ではあまり通用しなくて。私以上にぐいぐいするコ多かったんですよ。なので、ちょっと落ち着きました。 ――小学校ではあんな何でもやってたのに。 花田 私もびっくりしました。思春期だったのかなって思います。でも明るいコと一緒にいることは多かったですね。 ――私立ってことは中学受験ですよね。お勉強はどうだったんですか? 花田 勉強は嫌いでした(笑)。勉強ができるから受験しようじゃなくて、母の友達に勧められて。「じゃあ頑張ってみるか」ってノリで決まっちゃった感じです。 ――でも受験勉強はガツガツやらないと受からないですよね? 花田 全然です。じっとするのが苦手なんですよ。机に座って勉強するのが嫌いで、最低限しかやらなかったです。めちゃくちゃ頑張るというより、ある程度狙える学校に行った感じです。 ――部活は何をやってたんすか? 花田 公式テニスです。仲良くなったお友達がテニス部に入るというので、じゃあ私もって体験したら楽しくて入りました。 ――テニス部はどうでした? 花田 体力作りがキツかったです。強くなりたいと思って、テニススクールにも通ったりしましたけど、試合に出ても2、3回戦ぐらいまで。高校も最初はテニス部に入ったんですけど、そんなに上手にならないって気づいて、新しいことにチャレンジしようって、辞めちゃいました。