「紫式部の名前が不明」なのは「ストーカー対策」だった? 女系図で分かる意外な血縁関係
大河ドラマ「光る君へ」で主人公の紫式部は「まひろ」という名で呼ばれている。しかしこれはあくまでもドラマオリジナルの名前であって、紫式部の本名は今日、分かっていない(香子とする説もある)。 【写真を見る】平安時代の「ストーカー対策方法」
それはなぜか。女性を軸とした系図をもとに歴史を読み解いた『女系図でみる驚きの日本史』(大塚ひかり著)をもとに、当時の「名前事情」と、紫式部ら平安貴族の意外な血縁関係を見てみよう。 (前後編記事の前編・後編〈「光る君へ」紫式部の子孫は今の皇室へとつながっていく 女系図でみる日本史の真実〉では、紫式部の子孫の意外な出世ぶりを見る) ***
紫式部の名前はなぜ分からないのか
平安時代の女は、かなりな「有名人」でも「名前」の分からぬ場合が多い。 紫式部、清少納言、和泉式部、赤染衛門……これら有名文学者の「名」は、女房として仕えた際の「呼び名」であって、皆、本名ではない。 任官や叙位は「氏姓と実名を対象に行われるのが鉄則」(角田文衛『日本の女性名』上)なので、官位があれば本名も分かるはずだが、有名女房は必ずしも官位があるわけではないし、たとえ官位があっても、通称と本名は「ほとんど合致させえない」(同前)、つまり任官書類に記される人がどんな通称で呼ばれる女房であるか分からぬために、相当な有名女房でも本名は不明ということになる。 なぜ、女の名はそんなにも分かりにくいのか。
名前を知られると呪われる!
武士の時代には女の地位が低下したため、公的な記録に女の名が残りにくくなったということがあるが、女の財産権が強く、地位も高かった平安貴族の場合は事情が異なる。 結論から言うと、太古からあった「実名忌避の俗信」が根強く残っていたためだ。 「実名忌避の俗信」とは、名前と人間は一体であるという考え方から、実名を知られると呪いをかけるのに利用されたり、災いを受けるなど危険であるとして、実名を秘したり、別名で呼ぶ習慣のことだ(穂積陳重『忌み名の研究』、豊田国夫『名前の禁忌習俗』など)。 とくに「女子は相手に実名を告げるのは、肌を許すこととすら考えられていた」(角田氏前掲書)。名前を知られることは心身共に支配される危険を意味していたわけで、その危険度は女や貴人のほうが高いため、実名を秘すうち、不明になってしまうのだ。 今で言うなら個人情報をさらすと、詐欺やストーキングに悪用されるから秘すといった感覚で、実名も知らぬまま、ハンドルネームで呼び合っているネット社会に似てなくもない。