「奇跡の生存者」と呼ばれた2人が語る葛藤と命。JR福知山線脱線事故と東日本大震災、それぞれの経験者が何を思うのか。
震災の「奇跡の少年」にシンパシー
震災当時、石巻市立大川小学校の5年生だった只野さん。学校は、高さ約8.6メートルの津波に襲われ、児童108人中70人・教員10人が死亡し、4人の児童が今も行方不明だ。 只野さんは、津波にのまれながらも、助かった児童4人のうちの一人。だが、祖父、母、同じ大川小に通っていた当時3年生の妹を失った。 その後、只野さんは他の卒業生らと共に、解体が検討されていた大川小校舎の保存活動などにも取り組んだ。活動は実り、校舎は石巻市によって震災遺構として整備され、2021年から一般公開されている。 只野さんは現在、任意団体「Team大川 未来を拓くネットワーク」の代表として活動する。県内外での伝承活動のほか、石巻市の災害危険区域に指定されている大川小学校周辺地区に、誰もが安心して帰ってくることができるような「新しいコミュニティづくり」を目指している。 津波にのまれながらも助かった只野さん。しかし「奇跡の少年」と呼ばれることに葛藤を抱えたことなどが報道で伝えられていた。 小椋さんが只野さんに声をかけたのは、その葛藤が自分と重なって見えたからだという。 この日は、実行委員会のメンバーが小椋さんの自宅に集まり、講演会の打ち合わせをした。=兵庫県多可町で、2024年9月26日撮影脱線事故で助かった小椋さんが乗車していたのは、犠牲者が多かった2両目。そのことから、「奇跡だ」と称えられてきたが、その言葉には複雑な思いを抱き続けてきたのだという。 「今でも、誰かが、自分の身代わりになってくれたとの思いがあります。だから、彼の気持ちが理解できた。ぜひ話しをしてみたいと思った」 そして、2024年6月頃から、小椋さんと只野さんの交流が始まった。7月には、小椋さんが大川小学校を訪問。9月には只野さんが、JR西日本が事故現場周辺に整備した慰霊施設「祈りの杜」を訪れた。 小椋さんは、「脱線事故を経験していない人も含めて、さまざまな立場の人と一緒に、僕や福田さん、只野さんそれぞれが経験したことを振り返りながら、『生きること』や『いのち』について、考える場にしたい」と話している。
講演会「わたしたちはどう生きるのか」
講演会「わたしたちはどう生きるのか」は、11月3日午後1時(開場午後0時15分)から、東京都千代田区の日比谷図書文化館 日比谷コンベンションホール(大ホール)で開かれる。参加無料。定員200人。 第一部では、小椋さん、只野さんの他、10年展に絵画を展示した福田裕子さんも登壇し、それぞれが体験を語る。第二部では、3人で公開対談を行う予定。対談での聞き手は、10年展を企画した木村奈緒さんが務める。 来年4月には、講演会や10年展での対談などを収録した書籍も発刊する予定。問い合わせは、実行委員会の小椋さんまで。メールはinfo@kotono-design.com。