《教訓を継ぐ 東日本大震災13年・上》押し寄せる津波、印象深い交流 体験を胸に能登支援 群馬・玉村町職員の斎藤さん
元日、能登半島地震の大津波警報を伝えるNHKのアナウンサーが張り詰めた声で避難を呼びかけていた。「東日本大震災を思い出してください」―。多くの教訓を残した未曽有の災禍は11日で、発生から13年を迎える。死者・行方不明者は約2万2千人に上り、復興は現在も道半ばだ。当時の体験を共有する被災者や気象の専門家、医療従事者の記憶をたどった。
2月上旬、石川県かほく市。群馬県玉村町税務課の斎藤智也さん(26)は、能登半島地震で被災した住宅の損傷を調べていた。同市の支援のため、町から調査員として派遣された。市内は液状化で家屋が傾き、水道管は断裂していた。調査結果は行政の補償の根拠となる。「つらい思いをしっかり聞き、受け止めた」
真剣な表情で被害を訴える住民の姿は、2011年3月、宮城県石巻市で被災した自らに重なった。
押し寄せる津波
友人とゲームセンターで遊んでいると、立っていられないほどの揺れに襲われた。スロット台は弾んでいるかのように見えた。友人たちが小学校へ避難する中、斎藤さんは家族が捜し回ってしまうことを心配して、自宅へ戻った。
灯油販売店を営む父親が配達から帰宅し、数十秒後。がれきが混じった黒い波が、地をはうように押し寄せ、1階が瞬く間に水に漬かった。後の調査で周辺の浸水は深さ1~2メートルとされた。自宅から約20キロ離れた海沿いの保育施設で働いていた母親とは4日間連絡が取れなかった。
同市では関連死含め3553人が犠牲となり、417人が行方不明となった。実家は廃業し、知り合いは離婚。地震で生活や「人間関係も崩れてしまった」と感じた。
印象深い交流
そんな状況でも、印象深いのは自宅を訪れたボランティアとの交流だ。当時、身近な人の死は珍しいことではなく、斎藤さんも親戚を亡くした。友人がどんな事情を抱えているか分からず、被災について積極的に口にするのは気が引けたという。しかし、ボランティアには「自分の経験を聞いてもらいたかった」。ある時は阪神タイガースの話で盛り上がり、試合のチケットを譲ってもらったこともあった。