悲願達成から24年 沖縄尚学、県民を再び熱狂の渦へ センバツ
第95回記念選抜高校野球大会の初日に沖縄尚学が登場する。沖縄ではかつて「(沖縄出身者の)大臣が先か、甲子園優勝が先か」という言葉があった。戦後の沖縄の悲願だった初の甲子園優勝を成し遂げたのは、今から約四半世紀前。沖縄尚学が県勢として春夏通じて初めて甲子園を制し、県民を熱狂の渦に巻き込んだ。 1999年のセンバツ。沖縄尚学は1回戦の比叡山(滋賀)戦で、エースの比嘉公也投手(現監督)が完封すると、その後も接戦を勝ち進んだ。準決勝ではPL学園(大阪)との延長十二回に及ぶ熱戦を制した。決勝の水戸商(茨城)戦では中盤から打線がつながり、初優勝を飾った。 甲子園では水戸商の応援席も巻き込んでのウエーブが球場全体に広がるなど祝福に包まれた。ナインが快挙をさらに実感したのは帰郷後だった。飛行機で選手たちが那覇空港に到着すると、優勝を祝う県民らでごった返した。比嘉監督は「高齢の方々を中心に、その喜びぶりは本当にすごかった」と振り返る。 学校で開かれた優勝報告会にも多くの人が集まった。あまりのフィーバーぶりに、比嘉監督は当時の取材で「甲子園のマウンドより緊張します」と語っている。 米国統治下だった58年夏、首里が県勢として初めて甲子園に出場した。その後、沖縄の高校野球は着実に力をつけ、90、91年の夏に故・栽弘義監督率いる沖縄水産が2年連続で準優勝を果たした。 沖縄尚学は2008年春にも2度目の優勝を成し遂げた。さらに、10年には興南が春夏連覇を達成した。沖縄でキャンプをするプロ野球チームが増えて最高峰のプレーを見る機会が増えるなど、多くの要因が沖縄の実力アップにつながった。 沖縄の日本復帰50年の節目だった22年、沖縄で開催された秋の九州大会で、沖縄尚学は優勝した。スタンドを覆う熱気に、佐野春斗主将(3年)は「こんなにも応援が力になるんだというのを体感できた」と振り返る。 9年ぶりのセンバツで目指すのは3度目の優勝だ。エースの東恩納(ひがしおんな)蒼投手(3年)は「優勝旗を沖縄に持ち帰りたい」と力を込める。地元の後押しを受けて、沖縄の高校野球の歴史に新たな一ページを刻む。【黒澤敬太郎】