“モラハラ離婚”と言われた高橋ジョージが語る、別れたひとり娘との「10年ぶり」再会 「父の日には“パパ”と呼ばれました」
“力を貸してください”
5年前のような言葉遣いではなく、きちんと敬語が遣われていた。 「後で聞いたら、娘は私の連絡先を知らなかったから、インスタから会社のメールアドレスを調べたらしい。高橋さんなんて固すぎる。私はジョージだから、YouTubeで『Gさん』と名乗っている。だから呼び方は『Gさん』でいいよ、と伝えました」 その後、やり取りされたメールには、19歳の娘の、さまざまな悩みが綴られていたという。 「将来のこと、家族のこと、友人関係のこと……。たくさんありました。溜まっていた思いがあったんだろうね。だからこそ、何かを変えようと思って連絡をしてきたのでしょう。とにかく会おうという話になりまして、4月に彼女が東京に来ることになったんです。しかし、それには条件を付けた。“来るんなら、ちゃんと(母親に)言ってきた方がいいよ”と。だって、黙って俺に会うことは娘の母親に対しての裏切りだからね。そこで娘は母親に手紙で自分の意思を伝えたようです。母親も“あなたの人生をこれからも応援しますよ”って賛成してくれたようです」 再会が決まった。 「新幹線代を振り込もうと口座を教えてもらったら、苗字が新しいお父さんのものになっていたけど、それは記号だからいいや、と思いましたよ。その日は駅に迎えに行って、焼肉ランチを食べて、うちに一泊泊まりました。顔かたちはもちろん幼い頃とは変わっていたけど、時折、昔の面影が残っているのを感じる瞬間がありましたね。娘は悩みや将来の不安をたくさん話し、“今まで自分は守られ過ぎてきた”“自立したい”“そのために力を貸してください”と言うんです。そして“将来の選択肢を広げたい”と。それで、“東京来る?”と提案したんです。娘も頷いて……」 こうして娘は上京することになった。後日、高橋の自宅には段ボール箱20箱が送られてきたという。 「娘は“6月9日に行きたい”って。“なんでその日?”って聞いたら“6月9日ってロックの日だよね。大切な記念日だよね”って」 父娘の生活が始まった。