WAT'S GOIN' ON〔Vol. 2〕bjリーグ発足 青森ワッツ誕生への導火線
常勝だけがプロスポーツチームの存在意義なのだろうか…既存のプロスポーツ観に逆らうようにBリーグ誕生以前から活動を続ける不思議なプロバスケットボールチーム《青森ワッツ》の魅力に迫る。台湾プロバスケットボールリーグの新竹ライオニアーズとのグローバルパートナーシップ締結など、アリーナに収まらない活動を開始した青森ワッツが地元青森にどのような波及効果をもたらし得るのか、また、いかにしてプロスポーツチームのあり方を刷新してゆくのか、その可能性を同チームの歴史とともにリポートする。〔全13回〕
ブロンコス
河内を中心にして発足した新潟アルビレックスBB(以下、アルビレックス)は、初の地域密着型のプロチームとしてスーパーリーグで躍動していたが、プロリーグ化は遅々として進まず、新潟に続くチームも現れなかった。 ただひとつの例外が、さいたまブロンコスだ。アルビレックスよりも早い時期に発足した市民型のチーム。当時、プロチームと名乗っていなかった理由は、その起源に見出せるかもしれない。さいたまブロンコスの代表取締役社長兼GMを務めた成田俊彦(現・山口パッツファイブ代表)は、かく語っている。 〈2000年に新潟がプロチームとして立ち上がる5年ほど前に、我々は市民型球団としてスタートを切っていた。だがプロ化を目指すという考えは全くなく、選手たちが望んでいたのは、日本リーグ復帰だった。 そもそもブロンコスが生まれた経緯は「アンフィニ東京ブロンコス」が年度末に突然廃部になってしまい、行き場のなくなった選手たちにバスケのできる環境を作ってあげたいという思いから「ME所沢ブロンコス」が誕生した。 新潟のように「プロチームを作る」という信念のもと、Jリーグで実績のあるところが運営にかかわってスタートを切ったのとは、経緯も状況も全く違う。将来プロ運営しようというビジョンのもとで生まれたわけではなく、必要に迫られて模索しながら始まったチームだった〉* *『ブザービーター』(扶桑社)より引用. だが、成田は決断した。閉塞状態の日本バスケットボール界に風穴を開けるべく、埼玉ブロンコスと新潟アルビレックスが中心となり、プロリーグ設立研究会が生まれた。この会議の開催場所を提供し、後にbjリーグ経営諮問委員を務めたのが弁護士の水戸重之である。