“メッタ打ち”にされながら史上最年少王者に…安齊勇馬24歳は全日本プロレスの救世主になれるのか?「実力に見合っていないと厳しい声も…」
「ダサい勝利でも、偶然の大金星でもなんでもいい。とにかく勝って、ベルトを全日本に取り戻せてよかった。今日の試合で胸を張ってオレがチャンピオンだとは言えないけど、オレはここからベルトと共に成長していく。どんな試練も困難も乗り越えてみせる。その先に全日本のエースがあると思うから」 【衝撃写真】中嶋勝彦の「エグいキック」で安齊勇馬がメッタ打ちに…ボロボロになっても諦めなかった新王者「逆転のジャーマンスープレックス」の決定的瞬間を見る(全26枚) 3月30日、大田区総合体育館。全日本プロレスの安齊勇馬は、三冠ヘビー級王者・中嶋勝彦にジャーマンスープレックスホールドで勝利した。安齊は24歳10カ月で史上最年少の三冠王者になった。デビューからわずか1年半での戴冠は快挙だった。
中嶋勝彦にメッタ打ちにされ「引き分けさえ困難では」
ジャンボ鶴田が1989年4月に大田区体育館でスタン・ハンセンを破り、初めて三冠(インターナショナル、UN、PWF)統一に成功してから35年の歳月が流れていた。体育館の建物は新しくなったが、安齊も「大田区」で第72代三冠王者になった。 安齊は試合の序盤にジャンピングニーパッド2発とスープレックス1発を放ったくらいで、約20分の試合時間のほとんどを中嶋から攻撃されていた。中嶋のキックをキャッチしようとしたが、それもままならずにキックのメッタ打ちにあって、倒れ込んだ。 だが、よく見ると安齊の目は死んでいなかった。必死に立ち上がって中嶋に食らいつこうとした。それでも、その踏ん張りは反撃とは呼べないような、ひ弱なものに映った。中嶋が形相を変えて安齊を叱咤している。「ほら、どうした赤ちゃん!」とでもいうように。 中嶋は安齊を「8分で倒す。8分で十分だから」と言ったが、もうその時間は過ぎていた。けれども、安齊はこのままKOされてしまうんだろうな、と筆者は感じた。逆転の要素をまったく感じなかった。もはや引き分けることさえ困難に思えた。 ところが、中嶋に抱え上げられた安齊はスルッと後ろに降り立った。そして、この日3発目となるジャンピングニーパッドを叩きこむと、一瞬ひるんだ中嶋のバックを取ってジャーマンスープレックスを放った。きれいなブリッジだった。 安齊はそのまましっかりと中嶋をフォールした。「勝った」というよりも、「勝っちゃった」という感じだった。
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