朝ドラ『虎に翼』山田よねと姉はなぜ売られたのか? 昭和の貧困と格差の闇に切り込む衝撃回を解説!
NHK朝の連続テレビ小説『虎に翼』第3週「女は三界に家なし?」では、明律大女子部法科の学生らが抱える生きづらさや過去の痛みが物語の主軸となる。男爵令嬢・桜川涼子(演:桜井ユキ)に続いてフォーカスされたのが、筆舌に尽くしがたい過去を背負って法律を学ぶ山田よね(演:土居志央梨)だ。かつて姉が身売りされて女郎となり、自身も親に売られそうになった過去を持つ彼女だが、実は当時の日本ではよねのような少女が大勢いた。今回はその背景を簡単に解説する。 ■朝ドラが描いた「昭和農業恐慌」と少女たちの身売り 男装し、誰とも馴れ合わずに「自分は法律を学んで本気で世の中を変えたいんだ」と啖呵を切ったよね。彼女は入学以降、経済的に恵まれている寅子らに厳しい言葉をぶつけてきた。しかし、寅子が入学式後に「そのお姿、とってもお似合いね」と褒めた男装姿は、彼女の“武装”だったのだ。 まずはよねが寅子らに語った過去を振り返ろう。よねは百姓(農家)の次女として生まれた。ちなみに小説『虎に翼 上』によると、5人きょうだいだったようである。父は酒に溺れて暴力をふるう人間で、家は大層貧しかった。やがて姉は15歳で身売りされて女郎となり、よね自身も15歳になるより前に売られそうになった。「女をやめる」と髪を切ってまで抵抗したが、結局家に残ることはできず、姉の紹介でカフェーのボーイとして住み込みで働くようになったというわけだ。 その後、店に騙されていた姉の金を取り戻すために、よねは「自分が唯一差し出せるもの」を弁護士の男に差し出す。明確な描写はなくとも、それが何であったかは容易に想像がつく絶妙な演出だった。 「女という性を売ること」を忌避しながら、それによって姉の金を取り戻したよねだが、結局姉は苦しみ抜いた末に男と消えた。その金で、よねは明律大女子部法科への進学を決意する……という、想像を絶する過去だった。 さて、昭和初期の日本には、よねの姉と同じように親に売られた少女たちが大勢いた。所謂「昭和恐慌」によって、日本経済が混迷を極めた時代の闇である。 1929年、ニューヨークの株式市場が暴落し、アメリカ経済が壊滅的な状況に陥った。それに端を発して経済危機は世界へ波及し、「世界恐慌」の時代を迎える。しかし、日本はそれ以前から不況に喘いでいた。 きっかけの一つが、大正12年(1923)の関東大震災である。昭和2年(1927)に震災手形の処理などの理由から金融恐慌が起こり、時の若槻禮次郎内閣が総辞職。引き継いだ田中義一内閣は、日本銀行からの非常貸出しと支払猶予(モラトリアム)でどうにか事態を収拾しようと試みた。 続く浜口雄幸内閣は、昭和5年(1930)に第1次世界大戦期に休止していた金本位制を復活させた。これには円の価値を高めるという狙いがあったが、世界恐慌の余波を受けて莫大な正貨流失を招く結果になってしまった。 各地の農村ではアメリカへの輸出が滞った生糸の価格が暴落。他の農作物も次々と価格崩壊を起こした。米と繭の二本柱で成り立っていた日本の農村は大打撃を受け、困窮した。さらに、追い打ちをかけるように、昭和6年(1931)は東北・北海道が凶作に見舞われる。 結果、追い詰められた農村では娘の身売りが横行し、欠食児童の問題なども深刻だった。日本経済が輸出によって回復しだすのは、昭和8年(1933)頃、そして農作物の価格が回復傾向に転じるのは、遅れて昭和11年(1936)頃のことだ。 ドラマは現在昭和8年(1933)を描いている。日本経済は未だ回復していない時期だ。そんな情勢のなかで、同級生らは(各々苦しさを抱えるにせよ)経済的に余裕のある生活をしている。山田よねという1人の人間の視点からこれまでの物語を見返した時、我々視聴者は改めて昭和の日本にあった格差や、女性が自立することの難しさ、悔しさ、恐怖を思い知るのである。 <参考> ●NHKドラマ・ガイド『虎に翼』(NHK出版) ●『歴史人』2023年9月号「太平洋戦争開戦の決断」内「世界恐慌とファシズム/満州事変と国内情勢(水島吉隆)」
歴史人編集部