【連載 大相撲が大好きになる 話の玉手箱】第16回「癒し」その2
逸ノ城が大きな体で演歌をうなっている姿を想像するとおかしい
不慣れ、というのは妙な緊張感を伴います。 大相撲界も新型コロナウイルスの影響で令和2年夏場所が吹っ飛び、巡業もなく、丸々4カ月もポッカリと穴が開いてしまいました。 こんなことはおそらく初めてでしょう。力士たちも、感染を恐れてぶつかり稽古すらできない日が続き、先の見えない不安や、戸惑いできっと心は乱れに乱れ、疲れ果てたに違いありません。 もっとも、年に6回、過酷な優勝争いを繰り広げなければいけない力士たちだけに、心の癒し対策ならお手のもの。 力士たちはどうやって疲れた心を癒し、再生したか。そんなエピソードです。 ※月刊『相撲』平成31年4月号から連載中の「大相撲が大好きになる 話の玉手箱」を一部編集。毎週金曜日に公開します。 【相撲編集部が選ぶ名古屋場所千秋楽の一番】逸ノ城、初優勝! 照ノ富士敗れ決まる 演歌を歌って発散 モンゴル出身の力士にとって、日本の演歌はどこか故郷の歌に似たなつかしい響きがあるようだ。白鵬(現宮城野親方)も、日馬富士も、あの朝青龍だって、何かつらいことや、飛び上がりたいような喜びに遭遇すると、よく演歌を口ずさんだ。 初土俵からたった4場所で入幕し、5場所目の新入幕場所でいきなり横綱の鶴竜(現音羽山親方)をはじめ、大関の稀勢の里(のち横綱、現二所ノ関親方)、豪栄道(現武隈親方)らを相次いで破って堂々と優勝争いを食い込み、末は横綱間違いなし、と言われた逸ノ城だったが、3年後の平成28(2016)年4月7日、満23歳の誕生日を迎えたときもまだ平幕に甘んじていた。200キロを超す体重が逆に災いの原因となり、ケガが相次いでなかなか新入幕のときのような活躍はできず、悶々とした日々を過ごしていたのだ。 そんな最中の誕生日だけに、なかなか祝福気分にはなれない。差し入れられた誕生ケーキを前に大きなため息をつき、 「22歳は悪いことがいっぱいあった。23歳はいいことがいっぱいあるように。早く三役に戻り、その上を目指してがんばりたい」 と口も重かった。 そんな憂鬱を吹き飛ばすものは何か、と報道陣に問われた逸ノ城は、少し考えたあと、ポツリともらした。 「演歌です。吉幾三の『酒よ』とか、石川さゆりの『天城越え』とか、いいですね」 逸ノ城が大きな体で演歌をうなっている姿を想像するとおかしい。それから4年。逸ノ城の番付はさらに下がり、幕内を滑り落ちて十両。少し歌い足りなかったのかもしれないですね。 月刊『相撲』令和2年6月号掲載
相撲編集部