北野武監督が体現する「本能寺の変」...映画「首」にみる「北野イズム」
日本映画専門チャンネルで8月11日(日)にTV初放送される、北野武監督19本目となる「首」は、多くの意味で「世界のキタノ」の集大成を感じさせる作品だ。題材となったのが、歴史上でも有名な「本能寺の変」。天下統一をめざす織田信長が、家臣の明智光秀や羽柴秀吉を集め、謀反を起こした別の家臣、荒木村重を探させる。その裏では、秀吉が自ら天下を取ろうとする謀略も進んでいた......。戦国時代を背景に、男たちの濃厚な人間ドラマ、駆け引きや裏切りが予感される設定は、まさに北野映画の王道だが、冒頭からいきなり、戦乱に巻き込まれた武士のショッキングな末路が画面に大映しとなる。まるで監督が「今回も遠慮ナシで行くぞ」と宣言しているかのようだ。 【写真を見る】北野武が原作・監督・脚本・編集を務めた「首」 実際にこの「首」は、北野監督の直近の代表作である「アウトレイジ」3部作を、戦国時代に置き換えたようなムード。監督第1作の「その男、凶暴につき」から、「ソナチネ」や「HANA-BI」を経由し、「アウトレイジ」まで通底する、凶悪犯罪を巡っての男たちの確執が、そのまま時代劇に変換され、そこはちょっと新鮮かもしれない。武器が銃やナイフから、武士の刀に代わっても、容赦のない瞬間が用意され、北野映画の真骨頂はキープされた。 メインキャラクターが男性で占められるのは、北野武監督の志向ではあるが、今回の「首」はその部分を過去の作品以上に徹底。シンプルに「男たちの覇権争い」が浮き上がってくるうえに、登場する多くの人物が衆道(同性愛)に勤しみ、愛欲もストレートに繰り広げているのは、過去作品に比べて野心的。このあたりは監督デビュー以前、俳優=ビートたけしとして出演した大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」や「御法度」のスピリットを受け継いだとも読み取れる。ただ登場人物たちのホモソーシャルな結びつきは、北野作品に一貫しており、「首」での男たちの関係も作家性を象徴する。 こんな風に紹介していくと、シリアス&ハードな作風を想像させるが、むしろ「首」は痛快コメディとして楽しめる部分が意外に多かったりする。しかも北野武というより、ビートたけしのノリで、まるでコントのようなシーンを挿入。このあたりは「みんな~やってるか!」や「龍三と七人の子分たち」に似ている。演じる俳優たちも、明らかに素(す)に戻って笑っていたりして、権力争いのバイオレンスやサバイバルの中で、絶妙なアクセントになっているのだ。 シリアスさと軽やかさの自在な行き来を成功させた要因、そのひとつが北野映画でおなじみのキャストの集結。「Dolls」以来となる、明智光秀役の西島秀俊は、その後の俳優としての進化が重なって、余裕の熱演。「アウトレイジ」でそれまでのイメージをガラリと変え、振り切った怪演をみせた加瀬亮は、織田信長役で完全にリミッターを外して、観ているこちらも呆気にとられるほど。そして羽柴秀吉役は、年齢設定を無視して監督自身が演じているが、この自由さも北野作品らしくて微笑ましい。また、北野組に初参加のキャストにも光を当てる監督の志向は、中村獅童、木村祐一ら何人もの役どころで発見できる。 「本能寺の変」という、あまりに有名な歴史に向き合うという、北野武監督の初の試みながら、あらゆる方向から監督の作家性、大好きなテイストが詰まり、鮮やかにまとまったのが「首」だと言えるだろう。 文=斉藤博昭
HOMINIS