トラック同士の追い越しはますます困難に!? ひしひしと感じる「大型車の最高速度引き上げ」にともなう道路状況の変化
トラックの速度の歴史
大型貨物自動車の高速道路での最高速度が80キロと定められたのは、1963年に日本に初の高速道路、名神高速(栗東~尼崎間)が開通した時である。従って、今年4月の90キロへの引き上げは、約60年ぶりの改正となる。 当時、乗用車と大型バスの最高速度は時速100キロと定められた。大型バスに関しては、何度も実際の走行試験をして、「100キロなら安全に走れる」というお墨付きが与えられた。 乗用車と大型バスで初めて改正が行なわれたのは2017年で、新東名・新静岡IC~森掛川IC間(50.5km)と東北道の一部で110キロの試験運用が始まった。さらに、2020年に新東名の御殿場JCT~浜松いなさJCT間が6車線化され、120キロの本格運用が始まった。 引き上げのための正式な議論が始まったのは2013年で、試行までに4年、改正までに7年を要している。警察は引き上げに慎重であった。 それに引き換え、今回の90キロ引き上げは、議論が始まった23年7月から1年経たずして改正された。「2024年問題」に急遽間に合わせた感が否めない。 余談だが、大型バスやマイクロバス、4トン車が120キロ区間で120キロ出すのは合法であるが、科学的な走行試験はされておらず、いささかの危険性を感じる。 4トン車を含む中型トラックの高速道路での追突事故などが頻発し、その対策として中型免許が設けられたのが2007年である。免許取得を難しくしたかと思えば、速度を引き上げ、一貫性がない。 大型貨物に話を戻すと、約60年間変わらなかった「80キロ」だが、実際には制限なしの青天井の時代もあった。 私がトラックに乗り始めた1992年(平成4年)頃は、大型トラックはスピード化の時代だった。エンジンの技術は直6インタークーラーターボ化で成熟しており、高出力化(現在よりは低い)していた。時速120キロで巡行でき、中には140キロで走るトラックもいた。 宅配各社は関東~関西間で夜預かり翌朝配達のスピード競争をし、高速で走る路線ドライバーを主人公にしたテレビドラマまであった。しかしながら、大手では80キロの遵法運転を守っているところも多かった。 当時の光景を振り返ると、新東名などまだ無く、夜の東名にはトラックがひしめいていた。キャビンの上には3連の速度表示灯があり、対向車線にはその緑色の光が果てしなく続いた。トラックの密度が余りにも高いため、ライトコミュニケーションによる譲り合い、時にあおりもあった。 1990年(平成2年)に道路運送法が「物流二法」に変わり、トラック運送業は免許制から許可制に……。規制緩和が始まる。 事業者数は4万社から2013年には6万3千社に増加。ほとんど寝ずに走るため、高速道路での玉突き事故などの大きな事故が多かった。 そんな中で速度を規制しようという動きが出て、2003年の新車から90キロの速度抑制装置(スピードリミッター)が順次導入された。2024年3月まで約20年間、「制限速度80キロ・リミッター90キロ」の時代が続いた。