黒木瞳に「なぜこんなに素晴らしい文章が書けるのか」と聞かれ、困惑する小説家・凪良ゆう
凪良)いつも人物になりきって書くので、人物が変わると、同じ内容のことを言っていても言葉は変わってきます。チョイスしていただいたところは、私も個人的に気に入っていた部分だったので嬉しいです。 黒木)『汝、星のごとく』にも、『星を編む』にもたくさんあります。 『わたしにとって、愛は優しい形をしていない。どうか元気でいて、幸せでいて、わたし以外を愛さないで、わたしを忘れないで。愛と呪いと祈りは似ている』 ~『汝、星のごとく』(凪良ゆう/講談社/2022年)より 黒木)……これはもはや詩ですね。ここも好きです。 凪良)ありがとうございます。 黒木)なぜ、書けるのですか? 素人質問で申し訳ないですが。 凪良)自分でもわかりません。たまにあとから読み返してみて、「私、よくこんなことを書いたな」と思うときも多々あります。 黒木)集中しているということですか? 凪良)自分が書いているので、自分のどこかには眠っていた言葉だと思うのですが、それがどういう作用で小説のなかに浮かび上がってくるのか……。そのシステムはわからないですね。女優さんも台本を読んで、同じ台詞であっても、いろいろな演じ方があるではないですか。それを「よし、こう演じよう」と決めるときの判断基準がいろいろあると思うのですが、いかがですか? 黒木)逆に質問されましたけれども。練習していって、まったく違う言い方になるときもあります。「私、よくこんなことを書いたな」とおっしゃいましたけれど、「私、こんな芝居したんだ」というときもあります。 凪良)あるのですね。 黒木)理性で「きっとこういう仕上がりになるだろう」と計算し、その通りのものが出来上がったときはつまらないですね。「えー! こんな顔? こんな声? こんな芝居?」というときは自分ではなくなっているので。でも、これは芝居ですよね。小説はご本人が書いているではないですか。意識はありますよね? 凪良)そうですね、意識はありますね(笑)。いろいろ考えながら書いているのだと思いますが、不思議ですよね。そういうことをしっかりと言語化できる作家さんっているのかな? どうなのでしょう。