一日限り「幻の舞台」で舞う 大阪・羽曳野の譽田八幡宮、300年前の大屋根初の全面改修
豊臣秀頼や徳川家光が境内再建に尽力した大阪府羽曳野市の譽田(こんだ)八幡宮で、江戸時代の拝殿の大屋根が約300年前の建立以来初めて全面改修された。拝殿の前には明治初めまで能や舞楽の舞台があったとされ、24日の竣工(しゅんこう)奉祝祭に合わせて一日限りで特設の舞台をしつらえる。「絵図にしか残っていない幻の舞台で、いつか舞いを奉納したかった」。実現には同八幡宮で生まれ育った宮司の熱い思いがあった。 【画像】天保9年の境内図。大屋根の拝殿の前には屋根付きの舞台が描かれていた 同八幡宮は、国内2位の大きさを誇る前方後円墳、応神天皇陵古墳(墳丘長425メートル)に隣接し、同天皇を祀(まつ)るため飛鳥時代に欽明天皇が創建したと伝わる。武家の世を開いた源氏がとりわけ篤く崇敬し、頼朝が寄進したという神輿(みこし)は国宝に指定されている。 源氏以来、戦国武将が武運長久を願って信仰。16世紀末に社殿が焼失すると、豊臣秀頼が家臣に再建を命じたといい、古文書や棟札が残る。さらに徳川家も整備を進めた。拝殿は、形式から江戸時代前~中期の建立とみられる。文化財に指定されていないが、主要な屋根瓦に徳川家の「葵(あおい)御紋」が施され、強い結びつきがうかがえる。 「瓦の間から雑草も伸びて痛々しい姿だった」。中盛秀(もりひで)宮司(70)はかつての姿を振り返る。約2万枚の瓦がふかれた大屋根(長さ40メートル、奥行き10メートル)は老朽化が進み、一部で雨漏りもあった。江戸時代以来、破損部分はその都度補修していたものの、全面的な改修を目指して数年前から寄付を募り、初めてすべての瓦をふき替えることにした。 工事は今年1~10月に行われ、耐震性を高めるため屋根全面にあった土を除去して重量を約4割低減。「これで100年は大丈夫でしょう。多くの人たちの支えがあってこそ実現した」と安堵(あんど)の表情を浮かべた。 大屋根改修とともに、中さんのかねての願いが、拝殿のすぐ前にあった舞台の再現だった。同八幡宮に残る天保9(1838)年の境内図には「舞臺(ぶたい)」の文字とともに瓦ぶきの建物が描かれている。「明治初めまであったと聞くが、今は跡形もない」。幼少期から生活の場だった境内で、舞台の存在が気になっていたという。 同八幡宮には、鎌倉~室町時代の国重要文化財の舞楽面のほか、能面などが伝わり、古くから舞いが盛んだった。現在は毎年5月8日に境内の絵馬殿で舞楽が奉納されるが、かつて拝殿前にあった舞台は同八幡宮のシンボルともいえる。