両腕で歩くミャンマーの牧師と合気道開祖の「最後の内弟子」 Vol.18
まさに「地獄」の様相を呈している――2021年に発生した軍部によるクーデター以降、ミャンマーでは軍事政権の国軍(ミャンマー軍)と、軍事組織としてのKNLAを有するKNU(カレン民族同盟)やカチン州、シャン州、カヤ州などの武装勢力が組織した反政府(反軍事政権)の連合的武装組織PDFの戦闘が激化している。今年に入り、軍事政権はついに18歳以上の国民を徴兵するとまで発表した。 2024年現在、ミャンマーに向けられる視線は「反民主的な軍事政権VS民主化を求めるレジスタンス的武装勢力」の構図一色に塗りつぶされているが、はたしてクーデターが発生する前のミャンマー、そのディテールに目を向けていた者がどれほどいただろうか。 本連載は、今では顧みられることもなくなったいくつかの出来事と、ふたつの腕で身体を引きずるように歩くカレン族の牧師を支えた日本人武道家を紹介するささやかな記録である。
岩間
岩間道場の全体稽古が始まるのは、毎晩7時からだ。通ってくる生徒は、地元農家の跡継ぎ(長男)達がほとんどであった。野良仕事やそれぞれの家業を終えてから駆けつけてくるので、長時間の稽古は行わず、1時間ほど集中してやる。開祖は高齢であったので、特別の講習会以外は道場生達を指導することはなく、師範格の高弟が稽古をつけていた。 その1時間の稽古が終わると、兄弟子達は毎晩のように酒盛りをしていた。10人近い兄弟子達が持ち寄った酒を飲み、晩飯を食べるのだ。料理は持ち寄った野菜などを入れた鍋料理で、自家製の漬物などを肴にしていた。 いかにも田舎の道場風景である。兄弟子達が道場に通ってくる目的は、合気道の稽古もさることながら、酒盛りをして憂さ晴らしをすることにあったように思われた。まだ娯楽の少ない時代のことである。エネルギーを持て余している若者達が其処此処にいた。 この酒盛りの準備と後片づけも、学がひとりでやらねばならなかった。1時間の稽古が終わって、兄弟子達が「どーれ、一杯やるか」とやってくるまでに、食事の用意も整えておく。兄弟子たちの世話は、酒盛りの後も続く。 酒盛りが終わって道場生が引き揚げた後、道場や脱衣場には兄弟子たちの稽古着が置かれている。翁先生の特別な指導があるときは参加者も多く、30着余の稽古着が残されていたときもあった。洗濯機などまだ普及していない。すべて手洗いだ。厚い稽古着を両手で絞っていると、次第に指と手の感覚がなくなってくる。冬の寒い日は手も足もかじかんで霜焼けになった。