史上最年少15歳でドラフト指名され阪神へ…“神童”辻本賢人はいま、何をしている?「周りの人は僕が野球をやっていたことを知らない」
2004年、史上最年少の15歳でドラフト指名を受け、日本中の注目を集めた野球少年がいた。ドラフト8巡目で阪神タイガースに入団した辻本賢人だ。2009年の戦力外通告を経て、米球界への挑戦を最後に野球から離れた辻本はいま、何をして過ごしているのか。地元・神戸で旧知の記者のロングインタビューに応えた。(全3回の1回目/#2、#3へ) 【貴重写真】いまと全然違う…坊主頭の辻本賢人15歳がドラフト指名され報道陣に囲まれた日「本当に僕でいいのかな」。“俳優みたいな35歳”になった現在のワイルドな風貌も見る(全35枚)
「野球をやっていたことを知らない人が9割なので」
まだ桜がつぼみのまま閉じこもろうとしていた3月中旬、神戸の生田神社の近くにあるカフェで、ある翻訳家と話す機会があった。じっくりと向き合うのは久しぶりだった。あの頃をどのように過ごし、いまをどのように生きているのか……。彼と別れてから、ボイスレコーダーを聞き直した。ふと脳裏をよぎったのは、かつて読んだ本の一節だった。 《人間はひとりひとりがそれぞれじぶんの時間をもっている。そしてこの時間は、ほんとうにじぶんのものであるあいだだけ、生きた時間でいられるのだよ。》(ミヒャエル・エンデ『モモ』岩波少年文庫、大島かおり訳) 翻訳家の朝は早い。彼とLINEでやり取りする時、メッセージが届くのはいつも午前4時である。海外と業務の打ち合わせをするために早起きするのだという。世の中が寝静まっている夜明け前に動きだすようになってから、ずいぶんの時が経つが、この生活サイクルを気に入っている。 「海外とは早朝から連絡を取り合うんですよね。でも、アメリカには最近、全然行ってないですね。時々、ロンドンに行ったりするくらいです」 辻本賢人が日本の雑誌や書籍の英訳を始めてから、もう10年以上が経つ。この1月で35歳になった。幼い頃から海外での生活が長かったこともあり、堪能な英語を生かし、時には日本にやってくる外国人のコーディネートも行う。 すらりとした長身で、長髪をなびかせ、あごひげを蓄えている。彫りが深く、個性的な風貌を見れば、芸術家か、音楽家か、あるいは銀幕の中に収まっていてもおかしくない。 彼が20年前、日本のプロ野球界において、世間の耳目を一身に集めた野球選手だったとは、誰も気づかないだろう。 「周りにいる仕事の関係者も、僕が野球をやっていたことを知らない人が9割なので」 そう言って彼はいたずらっぽく笑う。
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