増える漢民族 追いやられるウイグル族それぞれの胸の内
2009年7月、ウイグル各地で騒乱が起きた。事の発端は、広東省の玩具工場でウイグル人労働者が漢民族に殺傷された事件の判決に対する抗議からだった。政府側は死者が200人弱と、ウイグル側は3000人にも上るとしている。双方の主張は大きく食い違ったままウイグル騒乱は鎮圧された。 僕が訪れたのはウイグル騒乱の1年前であった。 ホータンでのガイドは「ここでは毎年漢民族の割合が1パーセントずつ増えている。今年で多分24パーセントだね。何十年かするとここにウイグル族は居なくなるよ。その時はモスクもいらなくなるね」とブラックジョークを軽く言い放った。
またほかのウイグル人は「独立なんかどうせできっこない。漢民族と仲良くビジネスしていったほうがいいに決まっている。今の時代はお金がすべて、なんだから」という者もいた。実際、街でウイグルと漢民族がいつもけんかしているわけではない。傍目からみた感じでは、うまく共存しているようにも見える場面がある。おそらく、ほとんどのウイグル人が「仲良く、平和な解決策」がいいのだと考えているのであろう。不満はあるが普通に漢民族と同じような扱いを受けたいと。それが一般市民の願いではないかと思うようになった。 それでも中国政府は新疆ウイグル自治区への漢民族同化政策を推し進めるだろう。 中国 ウイグル自治区 2008年 (写真・文:村田次郎) ※この記事は「【フォトジャーナル】漢民族同化政策 中国・新疆ウイグル自治区 村田次郎」の一部を抜粋したものです。