「当選結果は最初から決まっている」…元裁判官が「無意味」と一蹴した、いい加減すぎる『選挙制度』の実態
「出来レース選挙」に疑問さえ抱かない上司
私は、一度だけ、ある所長代行判事に、「所長代行についてはともかく、現在のようなやり方での常置委員の選挙は、あまり意味がないとは思われませんか?」と尋ねたことがあるが、特に反応はなかった。というより、「この人はどうしてそんな不思議なことを尋ねるのかな?」という雰囲気の表情であった。 こんな選挙は、弁護士会や大学ではもちろんのこと、今では、どんな小さな村でも行われていないであろう。私が子どものころには、田舎の村で全く同じことをやっていた例があったのを記憶しているが、もう半世紀も前のことである。 こうした事態の背景には、おそらく「集団に対するバウンダリー(境界の認識)の欠如、集団や規範の物神化(人間の作ったモノが呪物化され、それに人間が支配される現象)」という心理学的機制があると思う。カウンセリングにおいては、問題含みの人間関係について、「バウンダリーの欠如」と「バウンダリー確立の必要性」がいわれることがある。 こうした「バウンダリーの欠如」は、日本では、親密な関係の中でも、集団と個人の関係においても生じやすい。よくいわれる、「集団に対する帰属意識のかたまりのような日本人」ということの原因がこれである。そして、これは、日本の裁判官集団にも非常によく当てはまる事柄であり、彼らは、この奇妙な選挙の例が端的に示すように、「集団や規範の物神化」機制がきわめて強い人々なのである。 選挙訴訟の原告たちがこの事実を知ったら、一体どのように考えるだろうか? 日本を震撼させた衝撃の名著『絶望の裁判所』から10年。元エリート判事にして法学の権威として知られる瀬木比呂志氏の新作、『現代日本人の法意識』が刊行されます。 「同性婚は認められるべきか?」「共同親権は適切か?」「冤罪を生み続ける『人質司法』はこのままでよいのか?」「死刑制度は許されるのか?」 これら難問を解き明かす共通の「鍵」は、日本人が意識していない自らの「法意識」にあります。法と社会、理論と実務を知り尽くした瀬木氏が日本人の深層心理に迫ります。
瀬木 比呂志(明治大学教授・元裁判官)