『クレイヴン・ザ・ハンター』の“狩り”が意味するものとは? 反転するキービジュアル
反転するキービジュアル 最後の最後に本作が完成させた「狩り」とは
狩る者にして狩られる者でもある矛盾。この矛盾はクレイヴンを大いに苦しめていく。 確かに彼自身は頑健にして俊敏な肉体を持ち、「クレイヴン」という呼称すら社会に広まらないほどターゲットを確実に、秘密裏に仕留めているが、あくまで身体能力に優れるだけの彼はけして無敵ではない。 生家に置いていかざるを得なかった愛弟・ディミトリはただの人間に過ぎず、彼のほうは襲われればひとたまりもないし、クレイヴンは彼の過去の足跡や父の行状も原因となって次第に追い詰められていく。悪党の中には彼のお株を奪うような力の持ち主もいるが、彼らはクレイヴンを肉体的な面で狩られる側に追い立てようとする者たちと見ることができるだろう。だが、真に恐ろしいのはそんな連中ではない。クレイヴンには圧倒的な力を手にしてなお狩る側になれなかった存在が既にいるはずだ。そう、父親である。 戦いにおいてはクレイヴンは勝利する。仲間に助けられ動物たちに助けられ、そこまでならヴィランどころかヒーローのようですらある。裏社会の人間としての沽券の問題から何もできなかった無様な父ニコライとは違う、狩られる側としての日々の終わりとして幕切れを迎えることも不可能ではなかったかもしれない。 しかし最初に触れたように本作はヴィランの物語であり、そんな希望に満ちた終わりを用意してくれてはいない。事件の後では全ての糸を裏で引いていたのがニコライだったと判明するが、つまり本作でクレイヴンは父のてのひらの上で転がされていたに過ぎなかった。彼は父から逃げることなど全くできていなかったのだ。それはニコライが命を落とした後ですら同様で、いやむしろその後にこそクレイヴンは不可逆的に追い込まれてしまう。どれだけ肉体的に優れた力を持とうと、クレイヴンは結局父の精神的な狩りから逃げることはできなかった。狩られる側でしかなかった。 本作のラストシーンは、クレイヴンがキービジュアルと同じ服をまとい「クレイヴン・ザ・ハンター」となる場面である。毛皮の房のついた、アウトローでたくましい男性の象徴とも言える服。 しかし父が遺したそれは、幼き日のセルゲイを襲い彼の肉体に力を与えたライオンの毛皮で作られたもの……ニコライが仕留めて部屋に壁掛けの剥製として飾っていた、“狩られた”象徴でしかなかったものだ。椅子に座り鏡に映されたクレイヴンの姿は外見的・肉体的には強い男性性の頂点ですらあるが、キービジュアルとポージングが左右反転した彼の姿にはそうした威厳はかけらもない。そこにいるのは鏡の枠によって壁掛けの剥製同然にされた、父に(より正確には父が象徴していた抗いがたい力に)魂を狩られた哀れな獲物だ。 そう、「クレイヴン・ザ・ハンター」という伝説的ライオンを「狩る」ところにこの作品のゴールはあった。キービジュアルと共に全てが反転するこの幕切れは、ヒーローではなくヴィランが主人公の本作だからたどり着けた絶望的に美しい結末だ。 本作は『スパイダーマン』関連のスピンオフを展開するソニーズ・スパイダーマン・ユニバース(SSU)の1作であるが、残念ながらSSUはここで一旦終了するらしいという報道がが既に発表されている(※1)。同じくクレイヴンを主役とした『クレイヴンズ・ラストハント』までの映像化をJ・C・チャンダー監督が構想しているのを考えれば無念な話だが、一方でだからこそ私たちは本作の結末に正面から向き合えるとも言えるだろう。再開を願いたいところではあるが、続編での救済という甘っちょろい期待でこのバッドエンドの味わいを濁してしまうべきではない。救いのない終わり方の作品だが、本作を観終えてその暗さに狩られてしまうかどうかはあなた次第である。
闇鍋はにわ