「別に女になりたかったわけじゃない」 性別適合手術を選んだ理由 カルーセル麻紀81歳、差別や偏見と“戦い”の人生
LGBTQという言葉が広まる前から、性的マイノリティーの先駆者として芸能界を生きてきたカルーセル麻紀さん。30歳を前に決断したモロッコでの性別適合手術について聞くと、「別に女になりたかったわけじゃない」と語り、その理由を話してくれました。 【動画で見る】小学生…あだ名は“女のなりかけ” あの時代は「残酷だった」 カルーセル麻紀ロングインタビュー
■下品な演出が「すごく嫌だった」 生放送中にテーブルひっくり返し
──20代となった麻紀さんはテレビの世界にも進出。グラビアや日劇での出演のほか、店にも出続けるなど、売れっ子となった。その一方、街中で指をさされるようなことも多くなった。 悪口言われても、バカにされても、(全て腹に)しまっておけばいいと思っていた。 ワイドショーに出て、カーテンの下から足だけ出して、“この人は男でしょうか、女でしょうか”なんてやってたんですよ。「ヒールを履いているから女じゃないの?」「いや、男かもしれない」なんて。 街の歩いてる人たちに「カルーセル麻紀を知ってるか」とインタビューして、「知ってる。オカマだろ」と言わせるようなこともあった。本番中に生放送で、テーブルをひっくり返して、帰ったことありますよ。今、新橋にあるテレビ局ですけれども。それをやってから「カルーセルを生放送で使うな」と広まりました。 だって、失礼なこと言われたら、笑ってられないもの。(下品な演出が)すごく嫌だった。
■行くところはモロッコだと決めていた
──その後、睾丸摘出手術に続き、性別適合手術を受けることを選びました。 その頃の肩書きは女優でもなんでもない。「私ストリッパーです」って、ストリップに誇りを持っていました。女性ストリッパーはステージで小さな下着をつけていたけれど、私は(男性器が)ついているから。セロハンテープで貼っていたけど、激しい動きができないんです。もう、ハサミで切りたいくらい邪魔だった。 別に女になりたかったわけじゃないの。ダンサーとして、ストリッパーとしてやりたかったんです。 パリから来てた、一緒にステージをやったり、テレビに出たりしてた友達がいっぱいいたんです。その友達から、モロッコで性別適合手術を受けた人のことを聞いていたんです。だから私はもう、行くとこはモロッコだって決めていたんです、日本じゃできないから。