9年越しで完成させた映画「おらが村のツチノコ騒動記」…今井友樹監督「“いる”と思えたほうが、何だか心が豊かになっている感じがして…」
放送作家・脚本家の小山薫堂とフリーアナウンサーの宇賀なつみがパーソナリティをつとめるTOKYO FMのラジオ番組「日本郵便 SUNDAY’S POST」(毎週日曜15:00~15:50)。7月14日(日)の放送は、映画監督の今井友樹(いまい・ともき)さんをゲストに迎えて、お届けしました。
◆9年をかけて「ツチノコ」を取材・検証
今井監督は9年をかけて「ツチノコ騒動」を取材し、ドキュメンタリー映画「おらが村のツチノコ騒動記」を作り上げました。 そんな今井監督に、宇賀からは「ツチノコってそもそも何なんですか?」と素朴な質問が、今井さんは「そもそも何なのか、うまくは答えられないんですけど」と苦笑いを浮かべつつ、「僕の田舎は岐阜県の東白川村というところなんですけど、そこでは35年くらい前に、ちょうど僕のおじいさん、おばあさんくらいの世代の人たちがツチノコを目撃したという出来事がありました。村が調べたら23人もの人が目撃したという情報が出てきまして。そこからツチノコ捜索に発展していくのですが、そのときに見た人たちはみんな『ツチノコは頭が小さくて胴体が丸く、太くて尻尾が細い。それが転がって落ちてくる』と」と答えます。 かつて世間を賑わせたツチノコ騒動について、「1960年代にエッセイストの山本素石(やまもと・そせき)さんという人がツチノコブームの火付け役で、彼が書いたツチノコ探索本があって、ツチノコ探索に奔走していたんですよね」と説明。 小山が「ツチノコって名付けたのは誰なんですか?」と尋ねると、「日本全国、ツチノコに相当する呼び名というのはたくさんあって……」と今井監督。「それこそ柳田國男(やなぎた・くにお)さんの本ですとか、山本素石さんが調べた本とかによると何種類もあって。素石さんが京都の山中でツチノコを目撃したときに、地元の人に尋ねたら『ああ、それはツチノコだ』と。そこからツチノコという名前が統一されていったんです。僕の田舎では『ツチヘンビ』と呼ばれていましたので」と話します。 今井監督の地元では、“ツチヘンビを見たら人に言ってはいけない”“ツチヘンビを見たら祟りが起きる、神様のような存在”と言われていたそうで、「おじいさん、おばあさんたちも、ツチヘンビがツチノコだということは知らなかったので、『世間でいうツチノコはツチヘンビらしい』ということで、23人の目撃者が一気に増えたという感じですね」と言います。 そもそも、今井監督が何故ツチノコを題材とした映画を作ろうと思ったかというと、「35年前にツチノコ捜索で村が大賑わいになったんです。その当時、僕は10歳で、特におばあちゃんのお兄さんがツチノコを見ていた人で、おばあちゃんいわく『お兄さんはそんな嘘をつく人じゃない。私は絶対にいると思う』と聞いていたんです。 田舎だったので、中学を卒業すると高校に進学するために故郷を離れるんですけど、学校の友達に自分の故郷の説明をしても地名を言ったところでわかってもらえなくて。でも『ツチノコ』って言うとわかってもらえるんです。でも、『ツチノコっていないのに、どうして村でずっと捜索イベントなんてやっているの?』って声もあったりして、田舎出身のコンプレックスに加えてツチノコがさらに追い打ちをかけてくるんですよね(笑)。だからツチノコは嫌いだったんです。 大人になってからもツチノコは嫌いだし、いるはずなんてないと思っているし、故郷で捜索イベントをやっていることも嫌いだったんです。でも、ふと立ち返ったときに、おじいちゃん・おばあちゃんたちは確かに『いる』って言っていたのに、僕は“いない”と思っている。子どもの頃は“いる”と思っていたし、“何だったんだろう?”と。そこから振り返ってみようと思ったのが、9年前ですね」と経緯を語ります。