2013年、曙さんが流した涙「相撲を愛している。すべてはここから始まったんです」相撲協会退職から10年、東関部屋で指導
大相撲の第64代横綱でプロ格闘家としても活躍した曙太郎(米国名チャド・ローウェン)さんが、心不全のため、4月上旬に東京近郊の病院で死去していたことが11日、分かった。54歳だった。2017年にプロレスの遠征先で倒れてから入院生活を送り、リハビリに励んでいたが、容体が急変した。ハワイ・オアフ島出身、203センチの巨漢で史上初の外国出身横綱となり、同期生の若乃花、貴乃花の“若貴兄弟”と1990年代の相撲ブームを盛り上げた。 【写真】歴史的な一戦!ボブ・サップに倒されてひれ伏す曙さん * * * 2013年6月8日、曙さんの姿は、現役時代に流した汗が染み込んだ東関部屋(墨田区)の土俵にあった。格闘家転向のため日本相撲協会を退職した03年以来、角界とは疎遠となっていたが、当時の東関親方(元幕内・潮丸)から力士の指導を要請されて「師範代」との肩書で実現した。白まわしを締め、退職後に彫った両腕のタトゥーをテーピングで隠し、神妙な面持ちで土俵に入る姿からは相撲へのリスペクトを感じた。「血が騒いだよ」。最初は言葉だけの指導の予定が、ぶつかり稽古では胸を真っ赤にしながら幕下力士の当たりを必死に受け止めた。 指導を終え、話を聞こうとすると曙さんは下を向いた。しばらく沈黙が流れ、顔を上げると目には涙が浮かんでいた。「部屋にきていいのか悩んだが、相撲、部屋を愛している。すべてはここから始まったんです。曙太郎の本籍ですから」。本当はずっと角界とつながっていたかったのでは。そう思わせる元横綱の涙だった。(2005~09、13年相撲担当・斎藤 成俊)
報知新聞社