【花やしき170周年】家族5世代にわたり楽しむ人も 時代とともに変化する花やしき
日テレNEWS
江戸時代末期の嘉永6年(1853)に開園し、8月7日に170周年を迎えた『浅草花やしき』。花園として花を展示したり、珍鳥や動物を展示したり、日本で初めてライオンの赤ちゃんが生まれたりと、時代とともに運営形態も変化してきました。 【画像】開園170周年の花やしき “ペリー来航”の年にオープン…秘蔵写真で振り返る
■170年の歴史の中で一番の出来事は“関東大震災”
1992年に『浅草花やしき』に入社し、歴史に詳しい津村健さん(55)によると、170年の歴史の中でも「一番大きな変化だった」というのは、1923年の関東大震災前後だといいます。
「動物もだいぶ死んじゃったりもしたと思いますし、焼け野原になった絵が残っていたりする。僕なんかは当然知らない時代ですけど、そういうのも170年の中で乗り越え乗り越え、今なんとかやってこられている」と語りました。
■戦後は“子供たちのために” 遊園地として進化
戦時中の1944年には、空襲に備えるため建物を取り壊し、営業を中止。終戦から2年後の1947年には、営業を再開しました。 再開への経緯について津村さんは「戦争が終わって焼け野原みたいになっていたんですけど、だんだん大人の人が楽しむ飲み屋さんとかキャバレーとかは新しくできていって、そういう中で“今後日本の復興を担っていかなければいけない子供たちに対しての夢が何もないじゃないか”ということで、ここで遊んで育って日本を復興させていくというようなイメージで遊園地にしていった」と明かしました。
■宇宙がテーマのアトラクション 現在はフォトスポットも
その後も遊園地として発展し続け、1961年に人類初の宇宙飛行が成功し、ガガーリンの名言「地球は青かった」が生まれた頃には、宇宙をテーマにしたアトラクションを開発。当時日本一の高さだった約40メートルのアトラクション『人工衛星塔』などが人気を博したといいます。 今年7月には、メリーゴーランドやスワンなど、“レトロ映え”する一部のアトラクションでは、一時的に停止させてフォトスポットとして開放する『フォトラクション』を開催。時代にあわせたエンターテインメントを提供してきました。