小島慶子さん「たまには母業の強制終了を!」“自分”を取り戻す時間が必要です|STORY
エッセイスト、メディアパーソナリティの小島慶子さんによる揺らぐ40代たちへ「腹声(はらごえ)」出して送るエール。今回は「ママOFF」について。
■小島慶子さん 1972年生まれ。エッセイスト、メディアパーソナリティ。2014~2023年は息子2人と夫はオーストラリア居住、自身は日本で働く日豪往復生活を送る。息子たちが海外大学に進学し、今年から10年ぶりの日本定住生活に。
『たまには母業の強制終了を!』
子どもにとって、ママはこの世の始まりからママ。でも当然、母親には子どもを産むまでの人生があり、母親以外の顔もあります。それを自分でも忘れちゃうんですよね、子育てに奮闘していると。 だから、ときには強制終了しましょう。「ママOFF」です。そんなに大それたことではありません。大人だけでご飯を食べに行くとか、一人でゆっくり美術館に行くとか。子育てコミュニティ以外の友人を複数持つのもいいですね。罪悪感は不要です。子どもがママにも自分の時間が必要なことを知るのは、いいことなのですから。 自身の親との関係を考えてみましょう。親にも名前があり、幼少期や青年期があり、子どもには見せていない顔もたくさんあるはず。でもなぜかそこまで想像が及ばないものです。私がそれを実感したのは、42歳の頃。生まれたばかりの私を抱いている母の写真を見たら、自分の方が年上になっていたのです。「そうか、私を産んだときのママは、今の私よりも若いのか!」と、とても新鮮な気持ちで写真を眺めました。「35歳で外国で出産して、孤独に耐えながら育児してたんだよなあ。駐妻ソサエティも大変だったろうな」と、まるで後輩を見るような心持ちに。 ちょうどその頃、私は息子たちと夫と共にオーストラリアに引っ越して、自分が生まれた街・パースに子育ての拠点を移したばかりでした。幼い頃に住んでいた場所を訪れ、母は私を抱いてどんな気持ちでこの景色を眺めたのかなと想像したら、浜辺に佇む心細げな若い女性の姿が目に浮かびました。出張ばかりだった父のことも考えました。私自身が二拠点生活で日本とオーストラリアを行ったり来たりのたった一人の稼ぎ手になってみて、やっと父の気持ちが想像できたのです。1972年の父は、42歳の私よりも3歳年下。まじか、まだ30代だったのか……家族を支えるのもさぞ大変だったろうなと、これまた新鮮な発見でした。 そうやって両親の人生を眺めることができてから、難しかった両親との関係に少しずつ変化が生じたのです。「パパ、ママ」ではなく「〇〇男さんと〇〇子さん」として、二人を見ることができるようになりました。もっと早くこの視点を得ていたら両親への理解が深まっただろうし、私自身も罪悪感なく親離れができて楽になれたのに、と思います。