『春になったら』木梨憲武が奈緒と交わした約束 遺影とタイムカプセルに込めた意味
タイムカプセルによって出会う過去と未来の自分
「100歳まで生きていますか?」は残念ながらかなわなかったけれど、「子どもの頃考えてるより、想像以上に楽しかった」と雅彦は満足そうに微笑む。「最高に良い人生だった」と述懐する雅彦は、瞳の「生まれ変わってもまた同じ人生がいいですか?」の問いかけに「そこに佳乃と瞳がそばにいてくれたら」と答えた。 かなったことからかなわなかったことを引いたら、やっぱりかなわなかったことの方が多いのかもしれない。けれども、後悔しているかと言えば決してそうじゃなくて、何か一つ自分は幸せだと思えるものがあれば、人は幸せなのではないかと雅彦を見て思った。 タイムカプセルを覚えていた雅彦の気持ちがわかる気がする。過去の自分は未来の自分と出会うことを夢見て、未来の自分は過去の自分と再会することを楽しみに、今日まで生きてきたのだ。タイムカプセルを開けることは単なる答え合わせではなくて、自分が生きた時間という世界で一つしかない宝物を開けることなのだと思う。 遺影とタイムカプセル。過ぎていく時間をとどめようとして人は手を伸ばす。今この瞬間を必死に生きようとすることと、自分がいなくなった後のことを考えて、大事な人が幸せでいてほしいと願うことは矛盾しない。いつか終わりはやってくる。だから、その日のために約束するのだ。「春になったら一緒に桜を見よう」と。本作をきっかけに、全国各地に埋められたタイムカプセルが掘り起こされることを楽しみにしている。
石河コウヘイ