「勝負強い人」と「肝心なところで崩れる人」あまりに明確な性格の違い
ただ、これらを実践できるかどうかにサッカーが上手いか下手かは関係ありません。長年、指導の最前線にいて思うのは「性格」が重要な要素になっているということです。私は究極のスキルは「性格」であると青森山田時代から何度も何度も選手たちに伝えてきました。もちろんゼルビアの選手たちにも伝えた言葉です。 個人スキルというものは高校生とプロ選手ではやはり大きな差があります。でもピッチ上で必要とされるプレー判断は、プロ、アマ関係なく求められます。何が「できるか、できないか」はあまり重要ではなく、嫌なことでも「やれるか、やれないか」。その選択においてはいつも「性格」が付きまとってきます。 サッカーの場合ですが、相手が打った強いシュートにも背中を向けることなく、果敢に食らいつき、身体を張ってゴールを守ろうとするプレーが必要とされますが、恐怖や痛みを伴うプレーにおいては、選手個人によって大きな差が出てきます。足だけ出してなんとなく阻止するプレーや、顔が逃げて身体を逸らしてしまうプレーは、失点の原因にもなり、プロであっても頻繁に起こっています。やはり少なからず恐怖心はあるものです。
● いざというときに体を張れるか 勝負の明暗をわける「肝」 勝率や失点率を考えても、シュートブロックを怖がって身体を張れず逃げてしまうプレーと、心から絶対に止めたいと正対して1歩前に出て身体にボールを当てにいく勇気あるプレーでは、シュートを防げる率がまったく変わってきます。ここに選手のスキルの差は関係ありません。まさしく「性格」の差で勝負の明暗が分かれてきます。 どんな職場でも同じです。仕事の取り組みには「性格」の差が結果や成果に顕著に表れてきます。「やれているようで、やれていない」「やっているようで、やっていない」「頑張っているようで、頑張っていない」こんな感じの人は必ず存在します。 ベテランと呼ばれる人であっても、何年勤務していても、そこの「肝」が身についていない人はダメです。いわゆるサッカー選手のキャリアも同じ。「肝」を心得ずに積み重ねたキャリアは「何もしてこなかった」のと同じなのです。もちろん自慢できるキャリアとは言えません。よって「スキル」の追求だけでサッカーは上達しないのです。究極のスキルが「性格」とはまさにこのことなのです。
黒田 剛