“酸っぱいブドウ”それもまた良し 好きなことに打ち込んでいても開ける世界
好きなこと、得意なことに打ち込んでいても、世界はそれなりに広がる
「得意なこと、好きなことだけをやっていては、偏った人間にならないか?」という疑問には「偏った人間で何が悪い」と開き直ってもいいと思いますが、もうちょっと穏やかな議論もできます。 人間のやることは何であれ、それだけで孤立しているわけではありません。必ずほかのいろんなことと関連しあっているのです。だから、どんな分野でも深く追求していくと、ほかの分野とのつながりが見えてきます。文学から歴史や心理学に興味が広がるのはありふれているけれど、ギリシャ神話から星座の話に興味が広がり、さらに天文学に発展することもあります。 あるいは、苦手なことと無関係に見えて、じつはちょっとばかりつながっていることにたまたま興味を持ったとします。それを面白がってやっているうちに、最初は苦手だったことにも対しても、苦手意識が薄れてくるなんてこともあります。具体例を示しましょう。わたし自身のことです。 子供の頃からスポーツ・体育が苦手だったことは書きました。そんなわたしが、16歳の頃、福岡市内にあった米国の黒人兵のたまり場のようなスナック喫茶で黒人たちのダンスに出会いました。ジュークボックスから流れるR&B(リズム&ブルース)にあわせて踊る彼らを「かっこいいな」と思って見ていました。そのうちの一人が親切に踊り方を教えてくれました。 「腰と肩でリズムを取るんだ。腰と肩がリズムにあって動いていれば、手足は腰や肩の動きにあわせて自由に動かせばいい」 そして,“Let’s dance”と招いてくれました。おかげでわたしは、音楽にあわせて自由に踊るダンスの楽しさを知りました。今もたまに踊ります。そして、体を動かすことが苦ではなくなりました。格闘技をしようとは思わないけれど、ラジオ体操くらいはしてもいいと思います。これだけでも、わたしにとっては大きな変化です。 わざわざ嫌なこと、不得意なことに時間や努力をつぎ込まなくてもいいのです。好きなこと、得意なことに打ち込んでいても、世界はそれなりに広がります。「それなり」では不足ですか? 短い人生で世界のすべてを経験し尽くすことなど不可能なのだから、好きなことの周りにあるそれなりに広い世界で満足する方が賢いと思いませんか? (心療内科医・松田ゆたか)