松山英樹「吐きそうだった」五輪メダル、ツアー2勝と輝かしい1年も苦しい胸の内/インタビュー
<インタビュー> 今年、男子ゴルフ第一人者の松山英樹(32=LEXUS)は、再び金字塔を打ち立てた。パリ五輪で日本人男子初の表彰台となる銅メダル獲得。主戦場の米男子ツアー(PGA)では、2月のジェネシス招待でアジア勢単独最多となる9勝目、8月のフェデックス・セントジュード選手権で大台の10勝目を飾った。シーズン大詰めのプレーオフ優勝も、アジア勢初の快挙だった。華々しい活躍の裏では「吐きそうだった」などと、日刊スポーツのインタビューに苦しい胸の内も明かした。1月2日(日本時間3日)開幕のザ・セントリー(米ハワイ)で早速、25年シーズンに突入する。【取材・構成=高田文太】 【イラスト】松山の米ツアー年度別成績 ◇ ◇ ◇ 代名詞が一気に2つ増えた年となった。従来の「マスターズ覇者」に加え、今年の活躍で松山は「日本男子ゴルフ初の五輪メダリスト」や「PGA通算10勝」と称されるようになった。特にパリ五輪銅メダルは、最終日にNHKとテレビ朝日の地上波2局が生中継する異例の展開。視聴率もNHK総合の第1部だけで12・1%に上るなど、多くの国民が関心を寄せた。そして表彰台では満面の笑みを見せたが、その裏で重圧に苦しんでいたと明かした。 松山 最終日というよりも、4日間、吐きそうでしたよ。ずっと。3日目の状態だったら、もうメダルなんか到底無理だなという中で、どうしたら最終日、うまくいくかなということを考えて過ごしていました。 第1ラウンド(R)で63のビッグスコアをたたき出し、2位に2打差の首位発進を飾った。21年東京五輪は、銅メダルを懸けた7人によるプレーオフで敗れて4位。リベンジを期待される中で、金メダルを予感させる最高のスタートを切った。だが第2Rを終えて3人が並ぶ首位、第3Rを終えて首位と3打差の4位。じりじりと後退していた。 松山 第3Rは本当に最悪な状況の中で、あそこでよく踏みとどまれたと思いましたし、まだ金メダルをあきらめる位置でもなかった。そういう意味では、よく耐えたと。(最終日は)スコアを伸ばさないと金メダルも、メダルもチャンスはないと思っていた。最初が大事と思っていたので、先に2番でバーディーを取ることができたので、すごくよかったなと思います。 表彰台の中央では、世界ランキング1位のシェフラー(米国)が泣いていた。他の試合とは違う感情を抱いてプレーしていたのは、世界中、変わらなかった。 松山 彼だけではなく、みんな(他の試合とは違うと)思っている。その中であそこ(表彰台)に立てたのは、すごくうれしかったし、男子では初のメダル。そこはよかったなと思います。日本の国歌(君が代)でなかったのは、すごく悔しい部分でもあります。 達成感は、その後の周囲の反応で強まっていった。 松山 やっぱり、周りの反響であったりとか、オリンピックのすごさを、あらためて分かったというか。普通にツアーに出ているだけでは連絡がこないような人から連絡もあった。オリンピックとツアーとでは、こんなに違うんだ「オリンピックってすごいんだな」と、初めて分かりました。 五輪出場権は、世界ランキングに基づいて決まるため、日本男子で同ランキングがダントツの松山は事実上、早々に代表に内定していた。それでもギリギリまで、出場するかどうかを決めかねていた。それが28年米ロサンゼルス五輪については「知り合いも多くいるので」と、すでに出場に意欲を見せている。舞台となるのは米西海岸屈指の名門コース、リビエラCC。そこで2月に開催されたジェネシス招待で、松山は劇的に逆転優勝した。2年ぶりのPGA通算9勝目。崔京周(韓国)と並んでいたアジア勢の最多勝利が、単独で最多となる快挙だった。 松山 ケガで勝てなかった期間が、ちょうど2年ぐらいあったので、また勝つことができたことで、自信というものが、また芽生えたという感じですね。丸山(茂樹)さんに(16年にPGA通算3勝目を挙げて)並んだ時に「KJさん(KJチョイ=崔京周)の8勝を早く超えてくれ」と言われていて。そこから8年ぐらい経ちましたが、超えられて、すごいよかったなという思いはあります。丸山さんには直接、会場でお会いすることができて「やったな」という、満面の笑みを見ることができました。 ジェネシス招待は今季から「格上げ大会」となり、優勝賞金400万ドル(約6億円)は、21年マスターズ優勝の207万ドル(当時のレートで約2億2800万円)を大きく上回った。出場者数も絞られ、トップ選手がこぞって照準を合わせてきた試合で、首位と6打差の7位から出た最終日に大逆転。ここぞで「62」をたたき出す勝負強さだった。 松山 スコアというよりは勝てたということが、すごくうれしかったですし、今年は絶対に勝ちたいという思いがあった中で勝てたというのは、すごく大きかったなと思います。 今季もう1勝もプレーオフ第1戦という、各選手が狙いを定めてきた試合だった。パリ五輪から2週間後に「勝ちたかった」というプレーオフで、アジア勢初優勝の快挙。PGA通算10勝目の節目に花を添えた。 ファンの期待に応え続けた1年だった。ただ、どれだけ実績を積み上げても、変わらない謙虚さがある。 松山 自分は、人の期待をずっと背負い続けられるほどの人間じゃない。自分のゴルフをやっているだけ。それを応援してくれる人たちがいるということがうれしい。それだけです。 だからこそ、25年の目標もいたってシンプルだ。 松山 まず早めに1勝することができれば。10勝したら、次は11勝目なので。 メジャー2勝目やPGA年間王者など、目指すものは多いが、まずは目の前の試合に全力を注ぐ。誰も経験したことのない道を進み続ける松山の25年シーズンは、間もなく開幕する。 ◆松山英樹(まつやま・ひでき)1992年(平4)2月25日生まれ、松山市出身。4歳でゴルフを始め、高知・明徳義塾高で全国優勝。東北福祉大2年だった11年マスターズ27位で、日本人初のローアマ獲得。同年11月の三井住友VISA太平洋マスターズでアマチュア優勝。プロ転向の13年に国内ツアー賞金王。同年秋から米ツアーに本格参戦し、14年初優勝。21年4月のマスターズで日本人男子初のメジャー優勝。五輪は21年東京大会4位、今年のパリ大会銅メダル。今年の2勝で米ツアー通算は10勝。180センチ、91キロ。