ハチロクに間違われた……とか悲劇すぎる! 大ヒット前夜の「S12シルビア」はもうちょっと評価されてもいい日陰の名車だった
影に隠れたS12シルビアとは
1965年に初代が登場した日産シルビア。クリスプカットと呼ばれたスタイリングは当時の日本車のなかでも特別な存在感を示していた。そしてシルビアは進化を続け、いまも根強い人気を誇る5代目S13型シルビアは、シルビアの伝統であるFR(後輪駆動)にこだわったスポーティ2ドアクーペとして、当時大流行したホンダ・プレリュードと並ぶデートカーとして、あるいは走り屋の憧れの1台として日本車の歴史を刻んだ1台となっている。 【画像】S12型シルビアのインテリアなどのディテールを見る(9枚) しかし、シルビアの歴史のなかで、あまり注目されなかったのが、伝説的名車、トヨタのAE86が登場した同年、1983年にデビューした、低いノーズと直線的なスタイリングが特徴のS12型、4代目シルビアだった。スーパーカーを思わせるリトラクタブルヘッドライトが特徴の2ドアクーペと3ドアハッチバックが存在し、とくに2ドアクーペのほうは、いまでも伝説的国産スポーティカーのAE86とも似た、「白い稲妻」をキャッチコピーで登場。 パワーユニットはCA18型1.8リッターのNA2種とターボ(135馬力、20.0kg-m)、FJ20E型2リッター NA(150馬力、18.5kg-m)、FJ20ET型ターボ(190馬力、23.0kg-m/ツインカムターボRS-X)を用意(いずれもグロス値。発売当初。ミッションは5速MTと4速ATを組み合わせていた)。 装備面の特徴としては、国産車初のチルトアップ電動サンルーフ、マイコン制御のオートエアコン、キーレスエントリーシステムなどが採用され、スペシャルティカー色、ハイテク感を強めたことだ。また、1986年のMC時には2リッターエンジンを廃止、1.8リッターエンジンに統一されている。
S13が生まれたのはこのクルマのおかげ
当時のエピソードとしては、同じくリトラクタブルヘッドライトを用いたAE86スプリンタートレノと似ており、人気の違いから、S12型シルビアに乗っていても、Bピラー以降のサイドビューを見て「AE86ですか?」なんて間違われることもあったらしい……。 ちなみに、やや全高の高いFJ20型エンジンを遅れて搭載することになったとき、スラントノーズの低いボンネットに収まらず、バルジを急遽追加。もっともバルジとしての機能はもたず、あくまでFJ20型エンジンを搭載するための苦肉の策だったのである。 が、それがS12型シルビアのファンにとってはS12型の象徴ともなって、FJ20型エンジン非搭載のシルビアユーザーがバルジを後付けしてみたり、なんと、ディーラーでもバルジ非装備のS12型シルビアの新車にバルジを付けて、ディーラーの”特別仕様車”として販売していたこともあったようだ。それぐらい、S12型シルビアにとって、ボンネットフードのバルジは神器アイテムだったということだろう(あくまでマニアの考え方だが……)。 とはいえ販売台数は、たとえば次期モデルのS13型の大ヒットと比べれば寂しいものだった。というのも、すでに説明した、AE86の人気の陰に隠れてしまったことと、これまた伝説の国産スペシャルティ&スポーティカーとして1980年代に君臨した、クラス上の2代目A60型トヨタ・セリカXX(2000GT/1981年デビュー)に対しても強気な値付けが災いしたとも考えられる。 しかし、シルビアは死ななかった。ご存じのように、バブル期真っ盛りの1988年にデビューした5代目となるアートフォース・シルビアを名乗るS13型シルビアは、歴代最多の販売台数を誇る空前の大ヒット。グッドデザイン賞も受賞したほどだった。 デートカーとしてはもちろん、5ナンバーサイズのFRレイアウトでもあることから、走り屋にも絶賛され、その後、スポーツドライビング、ドリフトの練習車としても重宝される存在となったのである。販売絶好調だったこともあり、基本の2ドアクーペのほか、デートカー色をより強めた2ドアコンバーチブルも用意されたほどで、S13型シルビアはデビューから36年を経たいまなお、根強い人気を誇っている。 いい方を変えれば、ハイテク自慢でリトラクタブルヘッドライトが象徴的なS12型シルビアがなければS13型はないわけで、S12型の影は薄いものの、シルビアの伝統の系譜の1台として、忘れてはいけない存在といっていいかも知れない。
青山尚暉