どんな仕事に就いても楽なものはない…「決断の時」を迎える20歳前後の若者が「覚悟しておくべきこと」
職業的決断
どんな職業を選ぶかは、社会人としての第一歩であり、人生にとって大きな決断となります。 就職とは、その職業の内容やシステム、組織の方針、同僚や上司、社会的役割と責任を受け入れることで、自らが社会的な存在になることです。当然、自分勝手は許されませんし、子どものようなごまかしや言い訳も通用しません。それだけ厳しい環境に置かれるわけですが、その代わりに自由や安定、豊かさを手にすることができ、「自己実現」という人生の大きな目標に近づく道でもあります。 希望通りの就職先が得られれば、精神面で有利になりますが、希望が叶わないと社会生活のスタートから苦しい状況になります。意に沿わないところに就職すると、自分はこれでいいのか、これが自分にふさわしい仕事か、こんな仕事に意味があるのか等、疑問を抱えながら毎日をすごすことになります。 希望通りの就職を果たしても、実際に働きはじめると、予想外の困難やつらさに直面して、せっかくの仕事を続けられなくなる場合も少なくありません。 たとえば高齢者のお世話をしたいという善意から、介護職に就いた人が、お年寄りから「ありがとう」の言葉をかけてもらえるかと思っていたら、便失禁や弄便の後始末、痰や唾をかけられる、長時間の食事介助、徘徊の付き添い、暴言を吐かれたり、頑強な介護抵抗に遭ったり、女性の場合は露骨なセクハラを受けたりして、あっという間に退職するケースがあります。事前に都合のいい期待を抱いていると、現実に心が折れてしまうのでしょう。 私の娘は銀行に就職しましたが、銀行員に憧れて就職した同僚の中には、イメージとちがうと落胆して、早々にやめた人が何人かいたといいます。娘自身は何も考えずに入行したので、甘い夢を描かなかったのがよかったと言っていました。 また、ある学生はエリートの多い企業に就職できたと喜んでいましたが、いざ仕事がはじまると、そのエリートたちと社内で競争しなければならないので、決して楽観はできないでしょう。 逆に、気に入らない就職先でも、頑張って働いていれば、仕事の意義や面白みがわかってきて、やり甲斐を感じられるようになることもあります。エリートのいない職場なら、自分がのし上がるチャンスも大きいわけで、気分よく働ける可能性も高まります。 この仕事は自分に向いていないなどと言う若者もいますが、自分に向いているかいないかなどは、単なる思い込みで、どんな仕事でも続けていれば自分のほうが仕事に向くようになります。 要はどんな仕事に就いても楽なものはなく、自分をその仕事に合わせる努力をする覚悟があるかどうかでしょう。 偉そうなことを書きましたが、私自身は医学部に入ったことで、国家試験にさえ受かれば医者になることはほぼ決まっていたので、職業的決断を迫られることはありませんでした。 しかし、どの科に進むのかは考えねばなりません。私は小説家になることしか考えていなかったので、科の選択も積極的なものではなく、消去法でした。まず、マイナーな科(眼科や耳鼻科、皮膚科など)はつぶしがきかないのでパスし、内科は勉強が必要なので却下し、外科系でも脳外科や心臓外科は一刻を争うことが多いので敬遠し、守備範囲が広くて、さほど緊急事態も多くない消化器外科を選びました。そのまま入局する同級生も多かったのですが、私は小説を書く時間がほしかったので、研修期間を延長して二年目は麻酔科の研修医になり、さらに麻酔科の勤務医から、また外科医にもどったのは前述の通りです。 さらに連載記事<じつは「65歳以上高齢者」の「6~7人に一人」が「うつ」になっているという「衝撃的な事実」>では、高齢者がうつになりやすい理由と、その症状について詳しく解説しています。
久坂部 羊(医師・作家)