札幌の名物映画館『シアターキノ』誕生秘話 是枝裕和監督とも古いつながり
市民出資を受けてスタートした、札幌における映画文化発信の地『シアターキノ』。第1回は、その成り立ちを紹介しましたが、今回は珍しい作品をたくさん紹介しているこの映画館が、札幌においてどのように映画文化を支えて来たのかを中心にお送りします。 札幌の文化をけん引『シアターキノ』(上)
理解あるビルオーナーにも助けられ
『シアターキノ』が日本一小さな映画館(座席29席)として誕生したのが1992年。その後、ミニシアターブームが起こり多くのお客さんが来場、客席を多く確保するために1998年に現在の場所(札幌市中央区南3西6)に引っ越すことになりました。同館代表の中島洋さんは、当時のことをこう振り返ります。 「実は今の場所(南3条グランドビル2F)は、他のテナントが決まっていたのですが、オーナーが文化に理解のある方で設計変更をしてまで『シアターキノ』の入居を後押ししてくれました。親会社(北海道銀行)に『金貸してやってくれ』とまで頼んでくれました(笑)。このタイミングで全国に増資のお願いをしたところ、5600万円が集まり、これまで貯蓄してきたお金と合わせて資本金8000万円、そして改装費の1億3000万円の足しにして、今の『シアターキノ』ができました」 それくらいの大きな金が動く事業ですから、当時42歳だった中島さんとしては「これが人生最後の仕事」として取り組み始めました。映画製作などを止めて、『シアターキノ』の運営を妻・ひろみさんとの二人三脚で行ってきました。 この「キノ」という言葉ですが、日本ではなかなか馴染みのない言葉です。これは、ドイツ語で「映画館」という意味で、実は『シアターキノ』は「映画館・映画館」と訳されるそうです。『シアターキノ』開館1年前に、中島さんはドイツへ行く機会があり、そのときにベルリン国際映画祭の拠点となっていた素晴らしい映画館に「キノ」という言葉があり、いつか映画館のオーナーになることがあったときは、必ず「キノ」という名前にしようと決めていたそうです。